どうも、当ブログ3回目の登場となります。
藤原頼長役の中村です。
まずは、劇団貴社の記者は汽車で帰社「保元物語」を見に来てくださった皆様、応援並びに支えてくださった皆々様、
おかげさまで2ステとも満員御礼となりました。
誠にありがとうございました。
劇場ではじめてお会いしたお客様の中にも
「すっごく頼長でしたっ!(意訳)」
と声をかけてくださった方もいらっしゃり、改めて今回のお話における「藤原頼長」の存在感というか、濃さというか、そういったものを感じた舞台となりました。
(全然関係ないですが、身に来てくれた知人には
「すげぇ気持ち悪かったわぁ」
とまことに忌憚のない貴重な意見をいただきました。
ついでに全然関係ないですが別の知人には
「いやぁ、いつも通り安定の気持ち悪さだね!」
とまことに屈託のない笑顔で言われました。げせぬ)
今回の頼長という人物に課された役割の一つとして、「武者の世」を前に誰よりも早く退場すること、がありました。
「源氏のリーサルウェポン」「鎮西のウォーモンガー」「平安のモビルスーツ」こと源為朝でさえも劇中で「青二才」と言い捨ててしまったような頼長は誰よりも武者たちを軽んじていたとも言えます。そんな頼長は結果として自分が軽んじていたはずの武者たちの誰よりも早く退場することになります。
当人にとってみればあまりに皮肉な結末であるというのは想像するに難くないでしょう。が、この後に「武者の世」がやって来るという「保元物語」の構造から見れば、真っ先に命を落とす人物が最後まで武者のことを認めようとしなかった頼長である、という展開はなかなか思うところがあります。
劇中の頼長はけっこう孤独な人物です。
武者たち以外にも後白河院への譲位を不当なものと言っていたり、兄忠通に対して悪感情を持っていたりといろいろ拒絶しています。一方で頼長自身もまた、鳥羽院から嫌われている話があったり、新院や父忠実も最後は離れていったりと拒絶されています。
彼のキャラクターとしての本質はこの「拒絶」や「否定」にあったのではないかと思います。
そんな彼の最期は、自ら舌を噛みちぎることによる自決。
これは自分にとって不合理に満ちているとわかった現世をせめて最後に「拒絶する」ために頼長が死を選んだのか、それともこの後に訪れるであろう頼長の居場所などどこにもない「武者の世」に「拒絶された」ゆえに死ぬ運命より他になかったのか...
果たして皆様はどのように考えるでしょうか。
最後になりましたが、稽古場でとてもお世話になった劇団員の皆様、特に崇徳院役の久保田さんにはとても感謝しております。今回の公演に関わった皆様に再度お礼の言葉をここに残して結びとさせていただこうと思います。
本当にありがとうございました。
それではまたどこかで