1917年
四川省・安県
米国人シドニー・ギャンブル(1890-1968年)撮影
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撮影場所は現在の行政区画で言えば
四川省綿陽市安州県
少女が背負った“祭壇”の中には
神像が据え付けられているようにも見えるが
よく分からない
“祭壇”には火のついたローソクも付けられている
線香のようなものもあるが
煙は出ていないようだ
写真左側奥に立つ男性は
眼鏡をかけているように見える
中国では宋代(960-1279年)には、水晶を使った眼鏡が実用化されていた
ガラス製のレンズを用いる眼鏡は
明朝末期に西洋人宣教師が伝えた
当初は極めて高価だったが
国産化に成功して次第に低価格になったという
清代末期から活躍した通俗的小説の作家の包天笑(1876-1973年)は
「我的近視眼(私の近視の目)」という文章で
子どものころから眼鏡を使っていたが
当時は若い時期から眼鏡を使うと視力がますます低下すると考える人も多く
祖母は自分が眼鏡をかけることを
ひどく嫌がったと書いている
してみれば
1917年当時に四川省の奥地に
眼鏡をかけた人がいたとしても
おかしくない
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ギャンブルはまだ10代だった1908年に両親と共に中国旅行をした
その後、1917年から1932年にかけて
キリスト教団体の幹部として中国に3回行き
長期滞在をして中国社会や家庭を調査した