ふと思い出した モンゴル医学とは | 如月隼人のブログ

如月隼人のブログ

ブログの説明を入力します。

中国に留学して以降
なぜか医療関係者や医学との接点がふえました

まず
北京語言学院の寮の同屋(トンウー、=ルームメート)は
ピンマー先生というお医者様でした
日本の大学病院で東洋医学による診察治療を行っていたのですけど
本場の中国でさらに学ばれたいと希望して留学したそうです

ピンマー先生には大変にお世話になりました

さてさて
その次ですけど
これは留学を終えた直後の話

どういう経緯だったかは忘れましたけど
ある大手製薬会社の研究所長さまが
「モンゴル医学」について知りたいとおっしゃいましてね
もっとありていに言えば、「新たな薬の成分はないか」
ということで商品開発が目的でした

私はその時 日本語学校で教えていましてね
教え子の一人に内モンゴルから来たお医者さんがいました
それで彼女に相談して
内モンゴルの病院とか研究所を紹介してもらいました

あ、あなた
今「あれっ?」と思ったでしょう
「モンゴル医学について知りたいなら、モンゴル国に行った方がよいのでは?」って

実はそうじゃないんですよ
少なくとも当時はそうじゃなかった

モンゴル国は20世紀の早い時期に
社会主義国になってソ連の忠実な子分になりました
国名はモンゴル人民共和国

ということで医療は全てソ連式になりました
モンゴルの伝統医学は捨てられました

モンゴルにはソ連のやり方を大量に採用しましたが
例えば音楽なんかでは自民族の伝統音楽をしっかり残した

どうして医学は「全面ソ連化」なのかと言えば
私が思うに
医療の担い手が僧侶だったからでしょうね
モンゴル人民共和国は宗教勢力を敵視しましたからね
「お坊様に治療していただいて病気がなおった。ありがたや、ありがたや」
というような状況を人民の間に作りたくない
というわけです

モンゴルが自民族の伝統医学を見直したのは
1990年代の早い時期に
社会主義を捨ててからです

でも
数十年以上もモンゴル医学の伝統は絶えていたので
「自力更生」は無理

ということで
ウランバートルあたりからモンゴル医学を学びたいとして
内モンゴルに留学生がたくさん来ていたそうです



それはさておき
モンゴル医学と、日本風に言えば漢方の違いをご紹介せねば
ええと
今の中国でやっている「伝統医学」を「漢方」と言うと
とっても怒る人がいるので
呼称は「中国医学」としておきましょう

まず上記のピンマー先生に教えていただいて
「なるほど」と気づいたのですけど

世界のどの民族だって薬草についての知識はあります
「この病気になったらこの草を煎じて飲めばよくなる」
てな知識なら豊富に持っている

中国医学の特徴は壮大な体系を築いて
体質や体の状態を分類して
薬の性格も分類して
処方を決める
それも
「この病気にはこの薬草」
なんて単純な処方ではなく
薬を「理論」に基づいて複合して処方する
これが中国医学の大きな特徴だそうです

このような総合的な医学体系を構築した民族は
それほど多くない

「中国医学」以外には
アーユルヴェーダ、すなわちインド医学
それからアラビア医学てな具合です

さてさて
インド医学は仏教文化の一部としてチベットに伝わりました
これがチベット医学
基本的な体系はインド医学と同じですけど
インドでは入手できるけどチベットでは入手できない
てな薬草もあるし
その逆の場合もあります
ですから投薬の仕方が変化しました

そのチベット医学がモンゴルに伝わって
同様の経緯を経てモンゴル医学ができました

内モンゴルでは病気の治療に際して
患者が
・西洋医学
・中国医学
・モンゴル医学
のどの治療法を受けるかを選択できます

もちろん医師は
「あなたの病気の場合、西洋医学がよい」とか
「モンゴル医学がよい」
とか助言しますけど
最終的には患者さんに選択権があるそうです

モンゴル医学は人気がかなり高い
と聞きました

日本でも「この病気のは漢方の薬がよい」なんてことを聞く場合がありますが
実際には西洋医学でも中国医学でも
あまり効果を出せない病気で
モンゴル医学で治療すれば非常によい効果を期待できる病気が
あるそうです

たしか緑内障がそうじゃなかったかな
(うろ覚え)

さてさて
例によって話が長くなっちまいました
ということで
製薬会社の研究所長さんらをお連れして
内モンゴル自治区政府所在地のフフホトにある
モンゴル医学をやる病院や研究所に行った時の話です

驚いたのは病院の建物に入っただけで
とても気分がよい

日本でもそうですけど
普通の病院って
なんか独特の「病院臭」があると思いませんか
消毒薬とかそういうものが原因じゃないかなあ
もちろん必要があって使っているのでしょうけど
私はあの「病院臭」が苦手だなあ

「中国医学の病院」は知らないのですけど
北京にある大きな生薬店なんかに行くと
いやなにおいはしないのですね
薬草の匂い
これ
嫌いじゃない


モンゴル医学専門の病院に入ったときですけど
中国医学、日本ならば漢方薬の香りより
もっとずっとすがすがしい気分になるのですね
これにはちょいと驚いた

中国医学とモンゴル医学では体系が違うとご紹介しましたけど
その結果としてどの病気にどの薬を使うかが違ってきます

それからもう一つ大きな違いがあって
中国医学の薬の使い方って
ほとんどが煎じて使う

湯でぐらぐらと煮て
その煮汁を薬にします

これ
お茶の発想だよなあ

というか順番は逆で
中国人(漢族)は昔から
生薬を煎じて服用していたので
茶が伝わった時に
「薬感覚」で煮て
その煮汁を飲用しはじめたらしいとのことです

茶葉を最初に用いたのは
中国最南部とミャンマーなんかの国境地帯にいた人々
とされていますけど
彼らは茶葉を使って飲み物を作ったのではなくて
食べていたそうです

塩とかその他の食材と一緒にして
何日かおいておくと発酵する
発酵させるのに成功すれば立派な保存食になる
ということで

それを飲み物にしたのは
どうやら中国人(漢族)の祖先みたいだ
とのことです

いかんいかん
またまた話が長い

でモンゴル医学では生薬などをどう使うかと言うと
これが薬研を使った粉薬にするのですね
モンゴル人は移動生活をしていましたから
大量の水なんか持ち歩きたくない
重いですから

だから粉状にして調合して
あとは毎日その薬を「食べて」しまう
これはモンゴル人の生活習慣に
見事に合っていたそうです

まあ
そういう内モンゴルの先生の説明を私が通訳して
日本の製薬会社の研究者の皆さんにお伝えしたのですけど
やはり専門家は違うものです
「実に興味深い」とおっしゃったのですよ
どこが「興味深い」かと言えば
同じ薬草を使ったのでも
中国医学の場合には煎じることが一般的なので
水溶性の成分しか利用できない

ところが粉状にして飲み込んでしまえば
小腸に入った時に脂肪分を分解する消化液も出て来る
だから薬草に微量に含まれる脂溶性の成分も
利用できている可能性がある
とのことでした

それからもう一つ
薬研(これは中国医学で使う薬研と同じに見えました)っていうのは
船状の容器があって
やに生薬を入れてから
薬研車と呼ばれる車状の道具で挽いていくのですけど
モンゴル医学では
「この生薬を使う場合には、何回挽くか」
がかなり厳密に決められているそうです

そうそう

「薬研(やげん)」と聞いても

ピンとこない方がいらっしゃるかもしれない

写真を貼っておきましょう

 


それでもって

これもその場で
日本人の研究者に教えていただいたのですけど
細かく挽けば即効性が出て来る
粗めに挽けば後になって効果がでる

つまり薬は服用してから
胃、十二指腸、小腸、大腸と順に移動していきますから
消化管のどの部分で粉末状の薬から成分を出したいのかを
考慮していると思われる

とのことでした

いやあ
専門家っていうのはするどいなあ

改めて感心した次第です

そうそう
「薬研」と言っても分からない人がいらっしゃるかも
コメントとして写真を追加しておきましょう

そうそう
今の中国語では「薬研」という言葉は使われていません
药碾子(yào niǎn zi、ヤオニェンヅ)と読んでいます