1917年
江西省・牯嶺
米国人シドニー・ギャンブル(1890-1968年)撮影
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撮影場所は江西省九江市中心部から南に10キロほど南にある牯嶺
現在は名山として有名な廬山風景区の一部だ
この写真のタイトルは“ Fairy Bridge ”(妖精の橋)
中国では山間部などの奥深い自然の中にある
天然あるいは人造の橋を
「仙人橋」とよく呼ぶので
ギャンブルは「妖精の橋」と意訳したのかもしれない
牯嶺を開発したの英国人宣教師のエドワード・セルビー・リトル(中国語名は李徳立、1964-1939年)
リトルは22歳だった1886年から中国で宣教活動を続けた
1895年には牯嶺の清涼な夏の気候や豊かな自然に目をつけ
当局から租借権を取得して
欧米人向けの避暑地として開発し始めた。
リトルは現地の行政権や警察権も得ていたので
開発を極めて体系的に進められた
例えば
自然のよさを失わないように
建物の密度も制限するなどだ
経営は大成功し
当時の中国で規模も影響力も最大の避暑地になったという
リトルが本拠地としたのは上海で実業家としても成功した
社会事業としてはアヘン撲滅を強く主張した
また、中国人が上海共同租界を管理した工部局の役員に就任することを
支持した
1911年に辛亥革命が勃発すると
上海にいた列強6カ国の領事とともに
南から攻め上る革命軍と北から迎え撃つ袁世凱軍の間に入って
和平国章を進めた
辛亥革命は結果として
袁世凱が自分が新政府のトップになることを条件として
革命側に寝返ったため
清朝は抗戦能力を喪失したことで
成立した
リトルは袁世凱と孫文のそれぞれから
平和勲章を贈られている
牯嶺(グーリン)はリトルが開発を手掛ける前には「牯牛嶺」と呼ばれていたが
避暑地になったために
英語の“ cooling ”(クーリング)にちなんで
改称された
現在もこの地名が使われている
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ギャンブルはまだ10代だった1908年に両親と共に中国旅行をした
その後、1917年から1932年にかけて
キリスト教団体の幹部として中国に3回行き
長期滞在をして中国社会や家庭を調査した