イワン・ゴンチャロフ(1812-1891年)というロシア人作家が書いた
「日本渡航記」という本を
ぼちぼちと読んでいるのであります
幕末の日本に開国を求めて長崎まで航海した
エフィム・プチャーチン提督の秘書官として
訪日した際の記録です
日本語訳は1941年に岩波文庫から出て
私が持っているのは1988年の第14刷
戦前の漢字づかいやら
古い言い回しなんかで
多少は苦労するけど
まあなんとか読めます
この岩波文庫版の「日本渡航記」は
ゴンチャロフの著作である「フリガート『バラクーダ』」の中から
日本とその周辺地域に関連する部分を
抜き出したものです
香港に始まって小笠原を経由して長崎に行き
長崎では上陸をほとんど許されず
ほとんどが停泊中の船での記述です
私は今
次の寄港地である上海についての記述の部分を
読み進めております
さてさて
この書物を読むと
「ロシア人はしょっちゅう茶を飲んでいる」ことに
驚いてしまいます
そして
先ほど読んだ部分に
上海に上陸して英国式にの食事をした際に
「この茶は当地では白毫(ペーコエ)」といふ」
と書いていたのですよ
「白毫」には“ Pekoe flower ”という英語も添えられている
この「日本渡航記」の原文はロシア語ですけど
ときおりフランス語や英語が混ぜられているようです
翻訳した井上満氏はロシア文学の専門家で
原著から訳出したことは間違いありませんが
場所によっては英語とかフランス語の短い文句が出てきます
おそらく原著でロシア語以外の文句もちょいと出てきたのでしょう
原文のままにしています
さてさて
紅茶関連で「ペーコエ」と言えば
すぐ思い出すことがあります
「オレンジ・ペコ(「オレンジ・ペコー」)」です
紅茶の等級を表す用語です
で調べてみたのですけど
「オレンジ・ペコー」の言葉の由来は必ずしも明らかでありません
「オレンジ」の部分が柑橘類の風味と関係ないのは明らかで
・オランダ王室のオラニエ・ナッサウ家(House of Orange-Nassau)を指す
と言う説と
・発酵ご乾燥させると葉がオレンジのような色になる
の説があるそうです
さてさて「ペコ」については
「白毫」という中国語の
アモイ地域の発音の“ pe̍h-ho ”の発音がそう聞こえたから
という説と
「白花」の発音の“ pe̍h-hoe ”に由来するとの説があるそうです
さてさて
「この茶は当地では白毫(ペーコエ)」といふ」の記述をもう一度考えると
ゴンチャロフが漢字の「白毫」を紹介したとは思えない
欧米人が著した書物に漢字が登場する場合は
その漢字の成り立ちを説明したりしますからね
「白毫」に関連する部分に
そのような気配はない
ということで
私が推測するに
「ペーコエ」と読めるロシア文字が書かれていて
井上満氏は茶葉の用語の「白毫」に該当すると判断したのではないか
それでもって
ゴンチャロフ一行をもてなしたのは英国人だから
英語で“ Pekoe flower ”と言ったのではないか
それをゴンチャロフが記録した
だとすれば「ペコ」=「白花」の傍証にもなるかなあ
さてさて
ただし
紅茶の等級に中国語由来の言葉があったとしても
中国で生産された茶葉と
直接の関係はなかったようです
まず
西洋人が中国産の茶葉を多く求めるようになったのは
17世紀ぐらい
彼らが買ったのは「黒茶」と呼ばれる発酵茶でした
中国茶の輸入に特に熱心だったのは
英国人とロシア人で
中国で茶葉の集積地だった湖北省の漢口では
英国商人とロシアの商人が激しく争った
最終的に
英国商人は競争に負けて漢口から撤退した
英国人はその後、支配下にあったインドやスリランカで
茶の栽培を始めたそうです
なお
英国人は中国から輸入した茶葉を
“ black tea ”と読んでいました
「黒茶」の直訳ですね
そして18世紀に紅茶が開発されると
紅茶の人気が圧倒的になり
西洋人が求める茶はほとんどすべて紅茶になりました
ただし英国人はそれまでの“ black tea ”の呼称を使い続け
そのために
今でも「赤い色をした茶」が英語では“ black tea ”と呼ばれるそうです
さてさて
「オレンジ・ペコ」の概念を広めたのは
紅茶王とも呼ばれる
英国人のトーマス・リプトン(1848-1931年)だそうです
あのリプトン紅茶の創業者ですね
リプトンが最初に手掛けたのはスリランカ紅茶だったそうで
だとすれば
「オレンジ・ペコ」も
言葉としては中国語由来の部分がありますけど
実態としては中国茶と直接の関係があるわけではない
これ以上の調べはついていないのですけど
まず、「オレンジ・ペコ」の「オレンジ」の由来を
オランダ王室に求めるのは
ちょいと無理があるんじゃないかなあ
オランダは東インド会社以来
アジアにも強力な足場を持っていたのですけど
主たる勢力範囲は現在のインドネシアなんかだからなあ
まずは茶葉に関連する中国語由来の「ペコ」の記憶があって
オレンジ色の茶に関連する用語にするのだから
「オレンジ・ペコ」という名称が登場したと考えた方が
自然ではなかろうか
オランダ王室との関係については
欧州でも最高クラスの家格だったそうですから
そのオランダ王家を連想させる言葉を使えば
「高級感が出て好都合」とも考えた
だったぐらいではないかなあ
