中国人と日本人は同じ漢字を使うだけに、意思疎通が混乱することもある | 如月隼人のブログ

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日本人も中国人も漢字を使っています。だから、相手の言葉が分からなくても、紙に漢字を書けば、意思疎通が可能。

 

と、必ずしも上手くいかないことは、多くの人が知っています。「手紙」という文字は、中国語では「ちり紙」を意味する。それから、中国人が昔、日本の工場に見学に来て、「日本人の責任感はすごい」と感心したことがあるそうです。

 

その工場に貼られていた「油断一瞬 怪我一生」という標語を見たそうです。中国人は「油を一瞬でも途絶えさせたら、生涯に渡って自分を責める」と理解したそうです。

 

まあ、そういう風に「意味」がはっきり違う場合には、よいのだけど「微妙に違う」場合には、かなり長い間、話がかみあわないこともあります。

 

私が最初に実感したのは、「核音」という民族音楽理論の用語です。この「核音」とは、西洋音楽の用語である「主音」に関連して登場しました。主音とは、ざっくりと言えば、「旋律の最後に置いて、その旋律が終わったなあ」と感じさせる役割りを担える音」です。

 

例えば、「かえるの歌が~ 聞こえてくるよ~」という歌がありますけど、あの歌の最後の部分のメロディーは「ドドレレ ミミファファ ミッ レッ ドー」ってなっています。

 

この部分の最後の最後を「ミッ レッ 」で途切れさせると、終わった感じがしない。「ドドレレ ミミファファ ミッ レッ レー」にしても、どうもストンと来ない。つまり、「ド」で終わらせないと、不全感が残ってしまうわけです。この旋律の場合「ド」が主音です。

 

ところが、小泉文夫という研究者が、「日本の伝統的なメロディーには終わった感じを作れる音が、けっこうたくさんある」と指摘して、そういう音を「核音」と名づけました。例えば日本の、特に日本海側には「レ・ファ・ソ・ラ・ド」の音を使う民謡がたくさんあります。このタイプの旋律では「レ」の音で終わらせるのが一番自然ですけど「ラ」もOKです。もうちょいキツいけど「ソ」の音だってイケる。「ファ」と「ド」は無理です。つまり「レ」、「ソ」、「ラ」は核音であり、「ファ」と「ド」はそうではありません。

 

「核音の理論」が出現する前までは、日本の伝統音楽の旋律を分析する場合にも、西洋音楽の概念を導入していました。小泉先生は「日本の音楽を分析するのだったら、西洋からの借り物の理論を使うのではなく、日本の音楽に適した理論を改めて構築した方すべき」と主張したわけです。

 

さて、私はある中国人の民族音楽学者と話をしていて、この「核音」の概念を伝えようと思ったのですけど、どうもうまくいきませんでした。

 

何ともかみ合わない話がしばらく続いてから、彼女は「その核音というものは、1オクターブの中に複数存在するのか?」と言い出したのです。「あちゃ~。さっきからそう言っているじゃん!」と思ったのですけど、まあそんな失礼な言い方はおくびにも出さずに、「そうです」と言いました。

 

すると彼女は、「だったら、その核音という名称がおかしい」と言い出したのです。彼女は「核」というものは、もともと桃のような果物の中心の硬い種の部分のことだから、音階のばらばらに散らばっているのに「核音」という言い方はおかしい、と言うのです。

 

確かに、漢字の厳密な使い方からすれば、彼女の言う通り。まあ、彼女も「言葉の問題は別にして、日本音楽でそのような分析が有効である可能性は認める」と言ってくれました。それかから「さまざま民族の音楽の分析手法として、西洋音楽の方法が最適でない可能性は、もちろんある」とも認めてくれました。

 

ただ、「漢族の音楽については、これまで西洋音楽の手法を部分的に採用した方法で分析してきたが、特に不都合は感じない」と言いました。

 

実は、小泉先生も日本以外の民族音楽に「核音理論」が適用できるかどうかはいろいろと考えられていて、「漢族音楽には使えない」、「インドネシアの音楽にははっきり使える」、それから国別では日本に属していても、その他の地域の音楽とはずいぶん違って聞こえる琉球音楽についても「核音の理論は使える」と結論づけられています。

 

モンゴル音楽については、最初は「使えない」と主張して、しばらくしたら「使える」と主張するようになりました。実は、このことには「資料の問題」という原因があります。私はこの問題を、かなり突っ込んで調べたのですが、長くなるのでここでは割愛します(というか、研究結果は大昔に使っていたMACの中だ。取り出せるかどうか。とほほ)。

 

さて、話を「核」の問題にもどせば、日本の産業政策には「中核国際港湾」なんて用語があります。「中枢国際港湾の機能を補完するとともに、地域のコンテナ輸送に対応した国際海上コンテナターミナルを有する港湾」なんて位置づけだそうですけど、中国人にはピンとこない用語じゃないかなあ。まあ、日本人にとってピンとくればよいのですけど、「中核国際港湾」を見て、中国人がなかなか理解できないことはありうる。

 

「中核国際港湾」なんて文字を見たら、まず間違いなく「日本にとって最も重要な1カ所の国際港湾」なんてイメージしそうだ。それが「中枢国際港湾」の下の位置づけで、ということは「中枢国際港湾」がある都市よりも規模が小さい都市にあって、いろいろな場所に散らばっている。

 

一方で、中国が主張する「中国核心利益」のイメージも、日本人には完全に理解していない場合が多いんじゃないかな。「中国の核心的利益」とか「中国の中核的利益」と訳されていますね。具体的には「中華人民共和国の国家主権、安全、領土の完全性と発展の利益」を指します。

 

日本人が「中国の中核的利益」という表現に接したら、「国家にとって最も重要な利益」程度のイメージを持つんじゃないかな。それはそれで、間違いじゃないだろうけど、中国人にとっては、それこそ「桃の核」みたいに、中国という国にとっての利益の中でも、中心部に固く固くまとまっていて、他の部分は多少切り取ることはできても、この「核心」についてはほんの些細な割譲もできない、みたいな、かなり強烈なイメージのはずです。(編集担当:如月隼人)