中国共産党は1921年7月23日に設立されたとされる。しかし、中国で「共産党創立100周年」の祝賀行事が開催されるのは7月1日だ。なぜなのか? これまでにさまざまな“憶測”が発表された。曰く「東京五輪の開会式が7月23日なので、注目度が下がることを避けるため」。曰く「香港返還の日(1997年)である7月1日にぶつけて、香港問題に注目が集まることを避けるため」などなどだ。
しかし共産党の設立祝賀記念日が7月1日になったのは、今に始まったことではない。そこで、新華社系のニュースサイトである新華網が2020年6月23日付で掲載した解説記事の全訳をご紹介することにした。筆者の羅平漢教授は、中国共産党の理論研究/教育の中心である中央党校に付属する国家行政学院に所属している。専門は中国共産党史だ。
なお、小見出し及び( )内は訳者の追記。中国語を日本語に訳すと文字数が大幅に増える。訳文の段落分けを原文通りにしたのでは文字数が多くなりすぎ読みにくくなる場合があるので、段落を適宜細分した。
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7月1日は、なぜ中国共産党の創立記念日になったのか?
【中国共産党設立のいきさつ】
1921年7月23日、各地の共産党書記組織の代表が上海フランス租界望志路路面106号に集まり、中国共産党第1回全国代表大会(=党大会)を開催した。国内各地の党組織と在日党組織が、この会議に13人の代表を派遣した。彼らは全国の党員50人あまりを代表した。コミンテルンもこの会議に代表を列席させた。会場が密偵に注目され、租界の巡査の捜査を受けたため、最終日の会議は浙江省嘉興南湖の上の遊覧船に場所を移して開催された。
共産党の主要な大きな任務は、正式建党の問題だった。会議は党名を中国共産党と確定し、中国共産党党綱領を採択した。そして、党の奮闘目標を資産階級の打倒と、中国でプロレタリアート専制を実現させ、社会主義と共産主義を実現することとした。中国人民の幸福と、中華民族の復興を図るという中国共産党人の初心と使命が、ここに確立された。
党の第1回全国代表大会の開催と中国共産党の正式発足の宣言。これは、天地開闢以来の大事件だった。中国にはこの時をもって、マルクス主義を行動指針とする、統一され、かつ唯一のプロレタリアート政党が存在することになった。長期に渡り暗中模索していた中国人民は、このことによって民族の独立と人民の開放、国家の富強を求めるための、道を輝かしく照らす灯を手に入れることになった。幸せを求める人民の闘争は屋台骨を得た。中国共産党の指導の下で、壮大な大波のごとき革命闘争が始まった。
【共産党創立日は長期に渡り不明だった】
ならば、中国共産党の第1回大会が1921年7月23日であるのに、どうして7月23日ではなく7月1日を党の創立記念日とするのだろうか。実は、中国共産党の開幕の日を7月23日としたのは、多くの党史研究者が後になり考証をした結果なのだ。中国共産党の第1回大会がどの日に開催されたかは、長期にわたってはっきりしていなかった。
中国共産党第1回大会の状況について、最も早い時期の記録は現在の所、1921年下半期に完成された、中国共産党第1回大会についての資料だ。そこには、「代表大会は6月20日に開催すと決定された。しかし、北京および漢口、広州、長沙、済南、日本から来た代表は、7月23日になって上海に到着した。そのことによって、代表大会が開幕した」。残念なことだが、この資料は駐中国コミンテルン代表団が保管しており、長期に渡って知られることはなかった。
第1回党大会の出席者には、後になり第1回党大会のだいたいの時間について回顧している。しかし、日付の違いはかなり大きい。毛沢東は1936年に、陝北ソビエト区(中国共産党が1930年代後半から約10年間に渡って本拠地を置いた延安とその周辺地区)を訪問した米国人記者のスノーに対して「私は1921年5月に上海に到着し、共産党設立大会に出席した」と述べた。この5月とは旧暦であるはずだ。というのは毛沢東が出発した日付は6月29日だからだ。
何叔衡(毛沢東と共に長沙代表として第1回大会に出席した、中国共産党の創設メンバー)と同郷であり親友だった謝覚哉は同日の日記に「叔衡午後6時に上海に行った。同行者は潤之(=毛沢東)だった」と書いている。何叔衡と毛沢東は秘密裡に上海に向かった。
謝覚哉は当時、二人が何をするために上海に行くのか知らなかった。新中国成立後、謝覚哉は「黒い雲が天を覆い、雨が降りそうな夜だった。毛沢東同志と何叔衡同志が上海に行くと、急に聞いた。私は二人の行動があまりにも突然と強く感じた。私は渡し船まで見送ろうとしたが、二人は拒絶した。後になって、二人が中国共産党第1回全国代表大会に参加するために出かけたのだと知った。偉大なる中国共産党の誕生大会だった」と回想している。毛沢東と何叔衡は、7月4日に上海に到着した。
陳潭秋(第1回党大会に武漢代表として出席)は1936年に「1921年7月の後半、上海フランス租界蒲柏路の女学校に、突然に9人の客が来た。彼らは、この学校の上の階に宿泊した」、「やって来た多くの人は中国各地の共産主義グループの代表だった。彼らが上海に来た目的は、中国共産党を正式に発足させることだった」と回想している。
各地の代表はほとんどが教師や学生で、収入が限られていたため、上海代表の李達と李漢俊以外は、李達の夫人の名義を使って、北京大学の教師と学生の夏休み旅行団を受け入れるとの名目で、フランス租界の博文女学校を借りて、上海外から来た代表の宿泊場所とした。陳潭秋の回想は第1回党大会の開催からそれほど時期を経ていないため、実際の開催日にかなり近い。
【毛沢東はとりあえず7月1日と言ったようだ】
ならば、どうして毎年7月1日を中国共産党創立記念日にしたのか。董必武(第1回党大会に武漢代表として出席。中華人民共和国成立時に、中国共産党員として残っていたのは、毛沢東とこの董必武のみ)の回想はかなり頼りになる。董は「7月1日という日は、後から定めたものだ。本当の会議の日付は、何とも言えない」と論じている。また、中国共産党が成立してからしばらくの時期は、第1回党大会が開催されてから区切りのよい節目の年にも、記念活動は開催されなかった。
7月1日を党成立の記念日としたことについて、参照することができる最も早い時期の証左は、毛沢東が1938年5月に延安抗日戦争研究会で行った演説の「持久戦を論じる」にある。毛沢東は「今年7月1日は中国共産党が設立されて17周年の記念日だ」と言った。毛沢東は中国共産党第1回大会に代表として出席し、会期中には記録を残す仕事も担当した。しかし、毛沢東のこの話も、第1回党大会からすでに17年が経過した時期の者であり、第1回党大会の時期についての記憶が正確であるとは限らない。しかも毛沢東は、この日に党大会が始まったとも言っていない。
中国共産党の成立にとって、シンボルとなる出来事を第1回党大会とすることは自然だ。しかし、第1回党大会の開催より前に、党の初期組織はすでに存在した。そうでなければ、各地が党大会に出席する代表を選出することはできなかった。全国各地の共産党の初期組織は1920年後半から1921年前半にかけて、続々と設立されていた。したがって、第1回党大会開催時に、党の地方組織はすでに設立されていた。
【苦しい状況だった共産党は記念日祝賀で士気を鼓舞】
共産党中央が毎年7月1日を党設立の記念日と、初めて正式に定めたのは1941年6月だ。中国共産党はこの時、設立されてちょうど20年目だった。そしてこの時期は、抗日戦が最も苦しかった時期でもあった。さらに同年1月、蒋介石は中国内外に衝撃を与えた皖南事変を発動し、新四軍に大打撃を与えた(新四軍は第二次国共合作により、形式上は国民軍の一部隊として対日戦に従事していた舞台。皖南事変とは、蒋介石に指導された国民軍7万人が新四軍江南部隊9000人を襲撃した事件)。
反共の高まりは2回目の頂点を迎えていた(1回目は、蒋介石が第1次国共合作を放棄して、大量の共産党員を処刑した1927年の上海クーデター)。同時に、日本軍は「大掃蕩」を進め、敵対する抗日拠点に対して残虐な殺光・焼光・搶光(殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くす)の「三光」政策を展開していた。(共産党にとって)背後に敵がいて前方の戦いに直面する、未曽有の深刻な困難に向き合う状況だった。中国共産党は全国の軍民に戦争を堅持する信念を奮い起こさせるために、党設立20周年を盛大に祝うことを決定した。
中国共産党中央は1941年6月に、毛沢東が起草した「中国共産党誕生20周年と抗戦4周年に関する指示」を発表した。同指示は「今年の7月1日は中国共産党が生まれた20周年であり、7月7日は中国抗日戦争の4周年だ(1937年7月7日に発生した盧溝橋事件を指す)。さまざまな方法で記念を実施すること、ならびに各種の刊行物は特集号または特集記事を発表すること」と明確に記述している。
中国共産党はさらに、宣伝の要点は党外に対しては「深く入り込み、中国共産党の歴史は、中華民族と中国人民を解放する事業に英雄的に奮闘した歴史」と宣伝し、党内に対しては「全党に、中国革命における中国共産党の重大な役割をはっきりとさせねばならない。共産党は今日、全国の抗戦を団結させ勝利を奪取する決定的な要因になっている。共産党の政策は、全国の抗戦の成否と全国人民の運命に関わっている。従って、党員一人一人が党の統一戦線方針をいかに運用するかを正しく理解せねばならない。戦略教育を強化して、20年にわたる党の革命闘争の中にある豊富な経験から学習せねばならない」と通達した。
党中央の指示と精神にもとづき、(中国共産党の)各根拠地では1941年7月1日前後に、各種の形式による中国共産党創立20周年の記念祝賀活動が展開された。同年7月1日、中国共産党中央の機関紙である「解放日報」は、「中国共産党20周年を記念する」と題する社説を発表し、「中国共産党20周年記念特別号」を発刊した。中国共産党が重慶で公開発行する「新華日報」も、「中国共産党成立20周年を祝す」の社説を発表した。この時以来、毎年7月1日が、中国共産党の創立記念日になったのだ。
(編集担当:如月隼人)