日本でも「春節」という言葉が、かなり知られるようになりました。記事では「春節(旧正月)」なんて書きますが、( )なしで理解する人も多いのではないでしょうか。
▼「春節」と「元旦」を使い分ける中国語に矛盾はないのか
何年か前ですが、ふと疑問に思ったことがありました。現在の中国では新暦の1月1日を元旦と呼びます。文字は日本と同じで読み方は「ユエンダン」。そして旧正月は春節(チュンヂエ)。あれ、ちょっと妙ではないか。
「元旦」の「旦」は、夜明けをあらわす。太陽が地平線上にのぼった様子をあらわす漢字ですね。だから「元旦」とは新年の朝で、意味を拡大して1月1日全体を指すようになったはずです。欧州起源の新暦を使うまでは、日本人も中国人も旧暦を使っていた。中国の場合、その旧暦の1月1日を元旦と呼んでいたはずだ。では春節は?
ということで調べてみたら、「春節」の語は中華民国が成立した後にできた語だそうです。それまで時代によって違いがあったそうですが、旧暦の年の最初の日をあらわす言い方は「上日」「改歳」「元首」「元日」などずいぶんたくさんあったらしい。清朝になってからは「元旦」と「元日」の2種類になったと言います。
▼初期の中華民国は過激な政策を採用した
さて、中国はいつから新暦を使うようになったか。実は、中華民国の成立と同時です。年号を使うとややこしくなるので、年については西暦に合わせますが、旧暦で1911年11月13日だった日に中華民国の成立を宣言した。というか、この日は新暦の1912年1月1日だった。つまり西暦の新年に合わせて中華民国を発足させ、同時に旧暦を撤廃してしまったわけです。
日本も明治時代に旧暦から新暦の切り替えをしました。しかし、実施したのは明治5年になってから。旧暦の11月9日に「旧暦12月3日をもって明治6年1月1日とする」との詔書を出して実行したのですから、ずいぶん乱暴とも言えますが、中華民国の場合、もっと乱暴だった。
今の中華民国、つまり台湾には「中国に比べて伝統文化をよく残している」とのイメージがありますよね。それはそうなんですけど、中華民国は本来、かなり過激な思想を持っていました。蒋介石が台湾に逃げてから、中華人民共和国が伝統文化の破壊をガンガンやるので「われこそは、中国文明・中国文化の正統なる後継者」との政治宣伝のために、伝統文化を大切にするようになったというのが実情です。
▼旧正月の復活「春節」を許可したのは袁世凱
さて、新暦をいきなり導入した中華民国でしたが、民衆はなかなかついていけない。不満の声も大きかったのでしょうな。そこで、1913年7月に北京政府が袁世凱大統領に「わが国の旧俗には毎年四季の行事があるとして、旧暦の元旦を春節、端午(旧暦5月5日)を夏節、中秋を秋節、冬至を冬節として、それぞれ国民の休日とする」との申し出があったそうです。
袁世凱は春節を休日にすることは認めましたが、夏節、秋節、冬節は認めませんでした。そのため、春節以外は顧みられることがなくなったということです。
そして、「新年の祝い」としての行事は古くからあったにせいても、言葉としての「春節」が定着したのは、中華民国以来という、長い中国史からすれば本当に新しい出来事ということになります。いずれにせよ、それまでと比べたら旧正月(春節)も相当に軽んじられることになりました。
▼戦後に台湾に来た国民党政権は春節を白眼視
ここで気になるのは台湾の「旧正月事情」です。なにしろ台湾は当時、日本統治下だった。日本は新暦だった。台湾で旧正月は公式のカレンダーには採用されませんでしたが、台湾人が民間行事として祝っていたようです。新暦の正月を「日本正月」、旧暦は「台湾正月」と呼ぶ場合もあったようです。
戦後になって台湾にやってきた中華民国の官僚は、台湾人が旧正月を盛大に祝っていることを白眼視しました。「日本統治時代の台湾:写真とエピソードで綴る1895-1945」によると、役所の職員には旧正月にもとづく年始回りを禁止したほどと言います。
1960年代になっても旧正月の休みは1、2日。70年代になってやっと3連休になり、その後やっと、政府機関も4、5日の休みを取るようになったそうです。
▼現在の中国共産党は「労働者の祝日」より「中華の祝日」を重視
話は再び中国大陸に戻ります。中華人民共和国の祝日の変遷です。建国直後の1949年12月に制定された「全国年節および記念日休暇弁法では、1月1日が1日の休み、春節は3日の休み、メーデーは1日の休み、国慶節は2日の休みと定められました。ただし、文化大革命期には春節が「排除すべき古い因習」として、休日の適用からはずされました。
次に法改正があったのは1999年で、1949年の休日指定のうちメーデーの休みを3日間に延長しました。そして2007年の改正では清明節と端午節、中秋節をそれぞれ1日の休みとして、メーデーの休みは1日だけとなりました。
中国共産党が信奉する共産主義とは、そもそも「理想とする共産制」を目指して、古いものを容赦なく切り捨てるはずなんですが、万国の労働者が立ち上がる日のはずのメーデーを縮小して、古くからの行事だった、清明節・端午節・中秋節を復活させた。いったい、どういうことなのだろう。
中国は経済成長や経済成長を背景とする軍事力や技術力の向上で、自信を持つようになりました。現在の習近平政権は「中国の夢」をスローガンにしています。歴史的に世界屈指の「富強の国」だった中国の復活を目指すということですね。
そういった「復古調」の意識は習近平政権の発足以前に始まっていたと考えています。2007年の祝日改正は、その1つと考えています。
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