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タクシーから降りると、行く宛てもないまま街中をふらふらと歩いた。
どこをどう歩いたのか、どれくらい時間が過ぎたのかもわからないまま、気付けば家の近くまで来ていた。

雨に打たれて冷えた身体のまま、自宅近くを散歩する。

マンションへ戻る前に頭の中を整理しておきたかった。 家に帰れば奈緒がいるだろうと思ったからだ。
あたりを見すと教会の時計台が目に入る。
20時をとっくに過ぎてあたりの店はすべて閉まっていた。

夕方から突然振り出した雨のせいなのか、普段より人道りも少ない。
仕事が終わり傘をささずにアリアの前を小走りに駆けていく人達が、一人道端で立ち止っている彼女に
どうしたのかという視線を向ける。

それでもやはり声をかける人は一人も居なかった。

彼女を哀れむ視線も好奇の目も、彼女にはどうでもよかった。

泣き顔なんかで帰ったら詮索好きの彼女に何を訊かれるかわからない―、そんな心配ばかりが頭に浮かんでは消え、そのたびに美味く答えられる自信はどんどん減っていく。


心の扉を閉めても耳元でリフレインする。

〚俺たちは施設で育ったんだ… 俺の本当の名前は昂揚だ〛


(最後に聞こえた気がするあの言葉… うまく聞き取れなかった…)


ふと気付くと、いつも買い物に出るたびに立ち寄るセレクトショップの前に来ていた。
普段ならワクワクした気分で眺める色鮮やかなショウウインドウの中も、今日はどうでもいいくらいに
色褪せて見える。

ガラスの中に映った自分の顔。
髪から雫が滴り落ち、化粧も雨と涙に流されてそこには一人、無表情の自分が立っていた。
無理やり笑顔を作ってみるのに、雨に濡れて冷えた頬と自らr閉ざした心の造る笑顔はどうしようもなくぎこちない。

固くなった頬をつねったら、また一筋涙が流れた。

マンションに戻り玄関の前で足が止まる…
三月のジャケットは無理やり鞄の中に押しこんだ。奈緒には見られたくなかった。
HANAOKA╱MINEZUKAと書かれたプレートの前で深呼吸をするといつもより何倍も重く感じるドアを開ける。

「ただいま。」

先週ZARAで購入したばかりの夏使用の赤い編み上げブーツは雨に濡れ土がはねて汚れている。
全身びしょ濡れでブーツを脱ぐのに手間取っていると、部屋の奥から奈緒が出てきて顔の前にタオルを差し出した。

「あーあ、思った通りずぶ濡れ。今日傘もっていかなかったでしょ。 早く濡れた髪拭いて熱いシャワー浴ておいで。 身体、温めないと風引くよ。」

アリアがシャワーから戻ってくるとタイミングを見計らったかのようにリビングのテーブルの上に紅茶が用意されていた。空に虹が架かっているデザインのマグカップ、奈緒とおそろいで、この部屋に入居する前に二人で街へ出かけて購入したものだ。 おそろいと言っても奈緒のデザインは真逆で、虹色の中に何色もの空色の虹が架かっている。


膝を抱えてソファーに腰掛けると、紅茶を一口飲んでタバコに火をつけた。

窓の外ではまだ雨が降っている。
夏近くになれば夜の10時くらいまで外が明るいドイツの気候。
でも今日は陽はすっかり沈んで、しとしとと降り続ける雨露の中に街頭のオレンジ色の光がぼやけ、なんだかその光がとても儚げに見える。

キッチンからなにやら音が聴こえて振り返ると、奈緒がスープをトレイに乗せて立っていた。

「アリアどした? さっきから外ばっかり眺めて。 これ飲んで、暖まるから。」

奈緒は昂揚と何か…と訊こうとして、そのまま言葉を飲み込んだ。

「…ありがと。 ちょっと疲れたのかも、論文とか色々さ。」

「終わったの?」

「三月に駄目出しされて、結局譲ってもらっちゃった。」

「そっか。」と言ったまま、珍しく奈緒がそれ以上何も訊かなかった。

よほどひどい顔をしているのだろう。
普段はうるさいくらい詮索好きで、いちいち色んな所でちょっかいを出してくる奈緒が、本当は心配性で優しいだけだという事はアリアにはよくわかっていた。

それだけに今は何も訊かないのだと言う事も…

奈緒の作ってくれたミネストローネがアリアの身体を芯から温め、優しく包み込む。
彼女のさりげない優しさに胸が熱くなった。
涙ぐみそうになった顔を横に向けて肩にかけていたタオルでそっとぬぐうと、奈緒がアリアに背を向けて
「そうかそうか、涙がでるくらい美味しいなら良かった!」とおどけて笑い、キッチンへ戻っていった。


彼女の気遣いがたまらなく嬉しくて、また涙が出そうになって困った。







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