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表情を変えぬまま目の前の三月へもう一度聞き返した。

「三月?」

胸が、みぞおちの辺りが変にざわつく。
緊張している時の身体の反応。
心の準備ができずにおどおどしそうになる気持ちを押し殺して三月の言葉を待とうと決めた。

何か今まで言えないことがあったとしても、それはそれで構わなかった。
だからこそ今の三月の態度から、アリアには「本当のこと」がちょっとした隠し事の類じゃないことぐらい
容易に察しがついた。

重大な何かが三月の胸のうちに秘められている事を知った。
そして彼のつくる沈黙の長さから、そのことを三月が長い間自分に話そうか迷っていた事も。

(そうじゃなかったら、三月がこんな苦しそうな顔なんてするはずない…)


言葉を選ぶように三月が口を開いた。

「昂揚と俺がいつも一緒に居たのは…俺たちが一緒に育ったからだ。」

「うん、知ってるけど…」

「幼少時代を一緒にすごして、同じ時期にここドイツへ留学した。 俺は途中で経済学部への変更を希望
 して、昂揚はそのまま医学部に残った。
 さっき医学部通えたってお前は言ったけど、俺はもともと昂揚と同じ医学部だったんだ。
 でも理由あって学部の変更をせざるを得なかった。これについては後で説明するよ。 
 本題は…」

話の意図が全くわからなかった。
一緒に育った話は今まで何度だって聞いたことがあったのだから。

「お前は俺たちが同じ年で幼馴染みたいに隣同士、近所や同じ町で育ったように思ってたのかも知れない
 けど…俺たちはそういうのじゃない。
 施設だよ。俺たちは施設で出会ったんだ、二人とも親に捨てられたんだ。」

歩道際を駆け抜けた自転車が風邪を起こして二人の脇を走り去っていく…
テーブルの上の伝票がその風に飛ばされてふわり、と地面に落ちた。

アリアは一瞬、自分の耳を疑った。
でもそれが同時に聞き間違いじゃないということもわかっていた。
アリアを捉える三月の瞳が、まっすぐに彼女を見つめていたから。

少し間を置くと、三月はゆっくりと体をおこしもう一つの秘密を口にした。
伝票を拾い上げながらもらした三月の言葉はアリアをさらなる混乱へと導いた。


「アリア、俺の本当の名前は昂揚だ。」

「…」

「そして昂揚の本当の名前は三月。 わかるか… 俺の言っている意味が。
 勘のいいお前のことだ、わかるだろう?」


「や、ちょっ…冗談~て、待っ…てよ。」

笑いを取ろうとして、三月の表情をみているうちに声が震えた。

顔が変な形に緩む。
人は混乱すると表情の作り方までごっちゃになってしまうらしい。
自分でも笑っているような、ごまかしてしまいたいような、加えて怒ってでもいるような変な顔をしているの
が筋肉の引きつる感じからよくわかる。

事実アリアの思考回路は停止寸前だった。

超がつくほど明るい昂揚と、クールだけど優しい印象の三月。
どこにでもいるような普通の生活をしている二人、むしろ傍からみたら恵まれていると思われている二人。 
大病院の跡取り息子の昂揚と、経済関連の会社の社長の息子という肩書きをもった二人の過去に暗い話なんてないだろうと思っていた。

その二人が施設で育ったなんて話をされて驚いて言葉も出ない。

だがそれ以上に三月の2度目に発した言葉に動揺していた。


〚三月が昂揚で、昂揚が三月〛

(どーいうこと? なんで? 何がなんだかわからない…)

自分が何故こんな重大な話を、秘密を打ち明けられているのかわからなかった。

目の前で話を続ける三月の声はアリアの耳を素通りしていく…

(何も聴こえない…、何も…。 聞きたくない)


手が、身体が硬直する。
アリアはただ逃げ出したかった。 
話しを聞くのが怖かった。


掌に落ちてきた水滴が、グラスの中に落ちるいくつもの雫がアリアを現実へと引き戻す。

「……三月が……昂揚………」

晴天だった空が突然曇に覆われると、初夏特有の天気雨に見舞われた。
雨はやがて小さな氷の粒と入り混じって二人の頭上に落ちてきた。 


まるで二人の胸のうちを代弁するかのように。


三月は悔しそうに顔をゆがめている。
帰り際に席を立つ無表情のアリアの肩にジャケットをかけながら彼は口を開いた。

今の話は忘れてくれ、と。
いくらお前にでもまだ話すべきではなかったと…

その言葉に答えぬままアリアは目の前にやってきたタクシーに乗り込んだ。
サイドミラーに映った三月は雨の雫に濡れて流されて見えなくなり、遠ざかっていった。

 







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