1988年作品「冬の本」



「新美の巨人たち」で彫刻家、舟越桂さんの特集があり、ビデオに残していた。


撮り溜めていたのがいっぱいあるのだが、舟越さんのは直ぐに見なくてはと思い、先ほど録画再生した。番組冒頭に流れたテロップを見て絶句してしまった。



この3月に、肺癌で亡くなっておられた。享年72歳。早すぎる…



舟越桂さんのお名前が、一般に知られるようになったのは、作家の天童荒太さんの作品、「永遠の仔」や「悼む人」の本の装丁に、彼の作品が用いられた頃からの様な気がする。

他に、須賀敦子さん、大江健三郎さんの本の装丁にも、彼の作品が使われている。






私はと言うと、

1995年頃からだったか、実家に問題が起こり、あれこれと悩むことが多くなり心の拠り所を探していた。

ローマのバチカン市国、サンピエトロ寺院でミケランジェロのピエタに涙したのもその頃だ。




時期を同じくして、NHKの日曜美術館で舟越桂さんの特集が放送された。



その番組の中で、彼のデビュー作とも言える木彫の聖母子像が映された。画面からにも関わらず、何故か胸打たれて、北海道のトラピスト修道院まで実物を見に行った。

ミケランジェロのピエタとはまた異なる、素朴な美しさがあった。


当時の私を、何が北海道まで行く思いにさせたのか、上手く言い表せない。

心温まる、浄化される、癒される…

どの言葉もしっくりは来ないけれど、救いを求めていた気がする。



それから、追っかけのように、彼の講演会を高松、東京の小平でと二度拝聴し、作品鑑賞に展覧会を訪れたのは数えきれない。


2003年作品「水に映る月蝕」



上の写真の作品を初めて見たのは、木場の東京都現代美術館だったと記憶している。

今までの人物像からはかけ離れ、見る側に作者の意図を想像させる作品だった。

私には、お腹に子を宿したマリア像に見えた。

「水に映る月蝕」以降、舟越さんの作風はとても哲学的で、凡人の私には理解が追いつかなくなってしまった。


しかしながら、彼の作品の静謐さ、遠くを見つめる眼差しに深く深く考えさせられて来た。遠くを見つめている様な佇まいだが、実は自分の内面を覗き込む姿なのかもしれないと、今は思う。

このような作品を創造できるのは、舟越さんの根幹に、宗教の教えがあるからだろうか…

彼はクリスチャンのはずだ。


思い余って、厚かましく、ファンレターまがいの手紙を東京造形大学に送ったりもした。ポストカードのお返事が届き、宝物にしている。


30人ほどの高松の講演会の折に、お声をおかけしたいと一瞬胸に過ったが、出来なかったことが悔やまれる。


舟越桂さん、

私が、鬱の底に沈んでいた時に、貴方の作品に救い上げて頂いたことを深く感謝しております。

どうぞ、心安らかにお眠りください。





今、箱根の彫刻の森美術館で舟越桂さんの追悼の個展が開催されています。是非一人でも多くの方に足をお運び頂きたいです。