思い起こせば、もう25年ほど前の話になるのだろうか…
高校時代の友人4人で、毎月一万円の積み立て貯金をして、イタリア旅行に行くことになった。
ミラノ、ヴェネツィア、ボローニャ、ローマ、ナポリを1週間ほどで巡る格安弾丸ツアーだ!
私にとって初のヨーロッパ旅行、忘れられない旅となった。
中でも、とりわけ印象深かったのはヴァチカン市国、サンピエトロ大聖堂の中でのとある光景だ。
ミラノから始まり、まるで修学旅行かと思うほどの強行軍のバス旅行!
ヴェネツィア、ボローニャ、フィレンツェと巡り、ローマ、ヴァチカン市国のサンピエトロ大聖堂に到着したのは、旅の後半のある日の夕暮れだった。
観光客もまばらで、そこで1時間ほどの自由時間が与えられた。
私は仲間と外れて、ひとり当てどもなく大聖堂の正面入り口から中に入った。
ふと、一人の老婆が目に入る。大きな白い像の前にある仕切りのバーに肘を付き、ひざまずいて祈りを捧げていた。
思わず、その大きな白い大理石の像を見上げると、私にもマリアと処刑後のイエスと見てとれた。
十字架から下ろされて、傷ついたイエスの亡骸を抱くマリアは、美しく、そして悲しかった。
写真はGoogleより
当時、マリアとイエスはガラス張りの中だったのか、ガードはなかったのか、記憶が曖昧だ。
そこに跪く老婆か、聖母マリアかどちらだったのかも定かではないが、私には、母が重なって見えた。
亡骸のイエスは私の弟だった。
涙で頬が濡れていた。
旅の数年前に、弟は不始末を起こし、離職、離婚問題へと追い込まれ、本人はもちろんのこと、周りの家族皆が負のスパイラルへ陥っている時期だった。
旅から戻った後に、
それがミケランジェロの有名な「ピエタ」の像と知る。
急に決まって飛び込んだ団体ツアーで、旅先では、本当に何の予備知識も無かった。
私が胸打たれたのは、マリアだろうがイエスだろうが、そんなことはどちらでもよく、
ただ傷ついた息子の姿に、深く嘆く母の慈愛に満ちた姿だったと思う。
私がその時見たその像は、確かに、静かに泣いていた。
それ以降、ミケランジェロのピエタは私の中で特別な存在となる。
そして、絵本作家でエッセイストだった佐野洋子さんが、やはりピエタに惹かれてエッセイを書き下ろしていることを知り、ピエタ繋がりで大ファンになる。
(佐野洋子さんが見たのは「ロンダニーニのピエタ」だが…)
阿刀田高さんも「新約聖書を知っていますか」の著書の中で、ピエタに触れておられるところがあったと記憶している。
月日は流れ、その後私は、確か2度このサン・ピエトロ大聖堂を訪れ、ピエタの像の前に立つことになる。
しかしながら、25年前のあの感情が再び湧き上がることは無かった…
でも、あの夏の夕暮れの閑散とした大聖堂の空気と、老婆と、聖母子像と、当時の私の気持ちがひとつになったあの瞬間を、決して忘れることは無い。
追記
昔の思い出に浸っていて、写真を引っ張り出した。日付は、1998年7月13日。
ヨーロッパの夏の夕方は、暮れることは無くいつまでも明るい。反して聖堂内は暗く
ステントグラスが輝いて見えた。