仮面ライダー龍騎の話
いや、何の話かと言われれば、実は今東映の特撮チャンネルで、仮面ライダー龍騎が、毎週2話ずつ、無料公開されているんですね。
詳しくはここ
http://www.youtube.com/playlist?list=PLPtUVm4GBlyKPuXdiY8k30oeP3QeUcRP0
いやーいいですよ、仮面ライダー龍騎。
何しろ、私が平成ライダーにはまった作品でもありますからね。
仮面ライダー龍騎は平成ライダー3作品目で、放映されていたのは2003年と、まあざっと10年前の話なんですが、私も当時はちらっと見ていた程度で、ちゃんと見始めたのは、実は2年前からなんですよ。
じゃあ、2年前に何があったかといえば・・・・・
そう、魔法少女まどか☆マギカが放映されたんですね。
もう2年にもなるんですね、まどマギ。最近、劇場版も公開されましたし、全然古いって印象ないんですけど、実はもう2年なんですね。
さて、それではどこがどう絡まると、まどマギと、龍騎が絡まるかのお話から進めていきましょう。
まずは、まどか☆マギカの概要ですけど、まあいちいち話すレベルじゃないですよね。
すでにネタバレという意味でもあれですので、ざっと説明しちゃうと、思春期の少女たちが、不可能を可能にする「奇跡」を対価に魔法少女になり、魔女と戦うといったストーリーです。
彼女たちは、魔法少女になった瞬間から戦う宿命に立たされます。なぜなら、生きているだけで魔法の力の源である「ソウルジェム」が濁ってしまい、その濁りを清めるためには魔女が持つ「グリーフシード」が必要だからです。そのため、魔女と戦い続けなければならないのです。
さて、一方で仮面ライダー龍騎の話です。
龍騎の世界では、鏡の向こうの世界「ミラーワールド」で日夜仮面ライダー同士で「バトルロワイヤル」が繰り広げられています。
彼ら・彼女らが戦う理由……それは13人のライダーの中で、最後に残った1人が「何でも望みがかなえられる」ため。
そして、彼ら・彼女らは仮面ライダーになった瞬間から戦いの運命を背負わされます。
というのも、彼らの力を強化するために、ライダーたちはミラーワールドに住む怪物、ミラーモンスターと契約しており、モンスターたちは常に他のモンスターの生命エネルギーを奪わないと生きては行けず、これを怠ると逆に自分たちがモンスターに食われてしまうからです。
ほら、なんだか似てるでしょ?
まあ、龍騎には白い宇宙生物的なマスコットが「僕と契約して、仮面ライダーになって欲しいんだ!」とは言ってきませんけどね。まあ、行って来たら、仮面ライダーゾルダのワールドエンドが飛びますけど。
まどマギが最初に報酬を得られ、龍騎は報酬のために努力するといった違いこそあれ、彼ら・彼女らは己の信じた道のために戦う宿命を背負わされた人間なのです。
さて、そんな感じでまどマギから特撮に入るという、K点越え並なトリプルアクセルから入ったわけですが、いやはや特撮、馬鹿にできませんね。
というよりも、話のつくり的にも戦隊物よりも対象年齢が随分上なんですよね。今現在の私が見ても楽しめるような話のつくりですし。
でも、仮面ライダー龍騎は、平成ライダーの中でもかなりの異色作であるのも同様に確かなんですよね。まあ、同じく異色作ではある響鬼さんもいますが、ここでは放置しましょう、面倒だし。
具体的にどこが異色なのか、前作・前前作のアギトやクウガと比べてみましょう。
・主題歌、ではなくイメージソングになっている。
まあ、これは単純に楽曲の販売元がコロムビアからavexに変わった影響なんですけどね。
クウガやアギトは、OPで仮面ライダーや、クウガ・アギトなどのワードが出ますが、龍騎に至っては全くそんなものは出ません。その代り、鏡をはじめとしたいくつかの重要ワードがちりばめられています。この流れは、のちのライダーにも踏襲されることになります(ただし響鬼、てめーは別だ)
・戦闘スーツを着て戦う。
前作のアギトでは、アギトの姿は人間の進化対としての姿でした。前前作のクウガは、ベルトによって肉体が変質した姿でした。
龍騎の場合は、変身するときに「ミラーワールドでの戦闘に耐えられる」ような戦闘スーツをまとって戦うスタイルになりました。これは、通常の人間がミラーワールドにいると、数分持たず粒子になって消えてしまうからで、それを防ぐためと、単純に超人的な力を持って、ミラーモンスターやほかのライダーと対抗する、といった意味合いもあります。
(この戦闘スーツの流れはのちのライダーにも踏襲されます、ただし響鬼(ry)
・ベルトが、ベルト本体+アタッチメントのスタイルになった。
前の流れでもあるんですけど、クウガではベルトは体内に存在し、戦う意思に反応して顕現していました。アギトは、変身ポーズをとることで、同じく変身ベルトが現れます。
しかし、龍騎の場合変身するときはまず
1.鏡に向かって「カードデッキをかざす」
2.空のベルトが鏡の向こうから出てきて装着される。
3.カードデッキをはめて、変身完了
といったようなプロセスで、変身のためのキーアイテムが、ベルトからベルト以外のものに変遷しているのです。
このため、各ライダーたちはカードデッキを奪われると変身できず、またカードデッキを破壊されると契約モンスターに喰われます。
変身のためのアタッチメントが別区分になったというのも、のちのライダーに踏襲されており、その後更なる進化を重ね、変身ドライバーと呼ばれるアタッチメントからベルトが伸びて自動的に腰に巻きつくスタイルなどが増えました(剣、オーズ、フォーゼが該当)
だけど、ここでも響鬼さんだけは別物。だって彼ら、ベルトで変身しないし……
・変身に「資格」が不要になった
平成ライダーのそれまでの流れでは、誰もがライダーになれるわけではなかった。
クウガは戦士のイメージを呼び起こした「適合者」が変身をしたし、アギトも進化の光を浴びたからこそ変身できる。そもそも、この2者は、ベルトと体が一体化しているため、外すことは不可能であった。
しかし、仮面ライダー龍騎は、カードデッキさえあれば誰でも変身できるようになった。具体的に「誰でも」かは微妙だが、まどマギでいうところのキュウべぇポジションの神崎士郎からカードデッキを渡された人間は、基本的にだれでも変身はできた。まあ、彼は基本「戦え」としか言いませんでしたけど。
ちなみにこの流れは、のちに踏襲されません。
次作の555が最も印象的で、1話目からベルトを使って変身できるものと変身できないものが明確に分けられているのです。
響鬼も同様です、やったね妙ちゃん!
多分、他にも資格なしで変身できるのは「フォーゼ」くらいかネェ?
・怪人のいないスタイル
仮面ライダー龍騎には、モンスターこそいますが、他作品での怪人にあたる存在がいません(クウガ:グロンキ族、アギト:アンノウン、555:オルフェノク、剣:アンデットなどなど)
まあ、それも次に挙げる点が主たる原因だとは思いますが…
・仮面ライダーが最多の13人登場、さらにこの13人でバトルロワイヤル
これがやはり、龍騎の龍騎たるゆえんでしょう。
そもそものキャッチコピーが「戦わなければ生き残れない!」ですからね。
だって皆が皆、自分の欲望のために殺しにかかってくるわけですから、それは戦わなければ生き残れないですよね。
まあ、その中で主人公は成り行きで仮面ライダーになってしまったため、自分の夢を模索していく、というのが主なストーリーになるわけですが、この仮面ライダーVS仮面ライダーという構図は、それだけならまだある程度見る様相ではあったわけですが、これほど出てきてしまうともう何とも言えない感じになりますね。
ああ、オルタナティブとゼロを加えたら15人か。多いな……。
さすがにこれ以降はこんなにライダーが出てくることはないですが。特例のディケイドを抜いたら、カブトの7人もそういえばあったなぁ……
というわけで、異色続きの仮面ライダーです。まあ、本当はもっといろいろあるんですが、語りだすと終わらないのでこの辺にしておきましょう。
さて、そんなわけで仮面ライダー龍騎ですが、今ちょうど13話と14話の公開中。いそいでTSUTAYAに行って、1~3巻を借りれば何とか追いつけますよ!4巻までついでに借りて、1000円で3連休を仮面ライダー龍騎1色に染めるのも悪くないんじゃないですか?
まあ、私は早くクウガ、電王、キバ、ディケイドの4作品を見て、平成ライダーコンプリートしなくちゃいけないんですけどね(真顔
「中二病でも恋がしたい!」のお話
しかし、私の注目とは裏腹に、私の周囲での反応をうかがうと賛否評論悲喜こもごもである。いや、悲喜はないかもしれないけど、実際否定的な立場の人が多いのもまた事実である。
そこで、なぜそのような事態になっているのかを、いつも通り適当に推察していきたいと思う。だらだらとやっているので、話半分程度に聞いてもらえれば幸いである。
・京アニ(準)オリジナルというポジション
このアニメは京アニオリジナルである、と言われたら「何言ってんだてめぇ?」と言われるのは請け合いである。何しろ、アニメのOPのテロップにでかでかと原作情報が書いてある。
原作「中二病でも恋がしたい!」
虎虎(KAエスマ文庫/京都アニメーション)
確かにテロップにはそう書かれている。
しかし、京都アニメーションと併記してあるし、さらにKAエスマ文庫ってどこよ?って話である。
まあ、これも多分に漏れずラノベ原作なのではあるが、ラノベでありながら天下の角川レーベルには列記されていない。角川以外の大手、小学館(ガガガ文庫)や集英社(スーパーダッシュ文庫)、あるいは講談社ですらない。
では、一体どこのレーベルかといえば、京都アニメーションと併記されていることに答えが隠されている。実はKAエスマ文庫とは、京アニがやっているラノベレーベルなのである。KAはそのままKYOTO ANIMATIONの頭文字、エスマはイタリア語で発見する・発掘するという意味らしい。
しかし、そんな名前のラノベレーベル聞いたことないな?と思ったら、それもそのはずである。実際、このレーベルは京アニショップを筆頭に、数少ない書店にしか並べられていなかった作品である。なるほど、知名度の低さもうなづけるという話である。(今はそれなりに入手何度は下がったようではあるが)
それで、ではどうしてそれが、京アニ(準)オリジナルに繋がるかといえば、それはなぜ京アニがラノベレーベルを持とうと思ったか、を考えれば容易にわかることである。
昨今のアニメ事情を鑑みれば、ラノベ原作のアニメなど列挙に暇はない。しかし、先程も述べたように、ラノベのレーベルの大部分を占めているのは天下の角川書店である。
それが何を意味するかといえば、コンテンツを有しているのは角川ということであり、せっかく京アニが傑作を作り上げても、その利益のほとんどは角川に吸い上げられてしまうという厳然とした事実である。しかも、そのコンテンツの多さゆえに、アニメイベントの成否は角川の参入にかかっていうと言っても過言ではない。角川が、アニメイベントの参加を拒否した事例に「東京国際アニメフェア」の件があるのは記憶に新しいが、そのように結局京アニ側が現状を打破するには角川を介さない、コンテンツの入手が不可欠だったわけである。
さて、話を本題に戻そう。
そんなこんなで、ラノベレーベルを創刊したであろう京アニではあるが、「中二病でも恋がしたい!」はその先鋒槍、つまりは突撃隊長的なポジションにある。
しかし、先鋒槍というには、実はいささかそのままの使用には絶えない作品だったのである。
理由を簡単に述べよう。
「中二病でも恋がしたい!」は、現在発刊された巻数は2巻である。
言われてみればこれは驚愕の事実である。
1クールのアニメを作るのには「ありえない」とさえ言える話である。
引き合いに電撃文庫より「とらドラ!」を出すが、とらドラは、実はアニメ1話で書籍の1巻分の内容を終わらせている。
確かに進行上の問題というのもあるのかもしれないが、ラノベの内容とは得てしてアニメ30分の、多くて3話ぐらいの内容にまとまってしまうわけである(ただし、境界線上のホライゾンなどのモンスターは除く)
もしも、原作のまま「中二病でも(ry」がアニメ化した場合、OVAとして数話文が製作されるのが関の山だったわけだ。
では、どのようにして京アニはこの問題を打破したのか。
打破できているかは少々微妙な所ではあるが、答えは「アニメオリジナルキャラ登場による、話数の水増し」である。
私も調べていて驚いた話ではあるのだが、実はアニメに登場する主要キャラクターのうち、「五月七日くみん」「凸森早苗」「小鳥遊 十花」はアニメオリジナルキャラクターである。
さて、この事実を抑えたうえでもう一度アニメを振り返ってみよう。
第2話で、早くも話が崩壊してしまうことがわかるだろう。
というか、京アニ側に「アニメオリジナルキャラクターを追加しても、話の大筋がこじれないほどある意味素直な作品であり、なおかつ扱いやすい作品である」と思われている節がある。不憫である…。
というわけで、つまり総括すると、このアニメはすなわち「オリジナルキャラクターを多数追加し」、「話数を1クール分に調節している」以上、「京アニオリジナル」と言っても過言ではないことがわかっていただけただろうか。
さて、前置きが長くなったが、それではなぜその事実が否定的な意見に繋がるのかをだらだらと書いていこうと思う。
・昨今のアニメにはない、ある意味では純朴な展開
原作を考えれば、まあ実に当たり前の話である。
アニメ版では、なんだかよくわからない「部活」を作成し、男1:女4(:猫1)という昨今ありがちな構成になってはいるが、実際原作準拠で考えればそもそもこの「部活」は存在せず、それに加え女側も、丹生谷は原作にも登場しているらしいが、他のキャラは軒並み存在していないわけなのだ。
つまり、「昨今にありがちなハーレム環境」でありながら、「原作準拠の本筋を道草喰いながらも進んでいる」訳である。それがよいかどうかと聞かれたら微妙な所ではあるが、少なくとも私はラノベハーレムものには辟易しているため、どちらかと言われれば賛同の立場ではある。アーメン。
・中二病という設定上の問題
この話の核となるのが「中二病」という設定である。
私も現在進行形で不治の厨二病罹患患者であるが、このアニメは要するに、そういう自分の黒歴史を振り返って、悶えたり笑いものにしたりして楽しむ、というのが正道なのである。
しかし、ぶっちゃけて言ってしまえば「中二病」にかかったことがない人が、このアニメを純粋に楽しめるか。と問われればはなはだ疑問ではある。
そういう意味では、ニッチな作品であるというのは否めないポイントではある。
・昨今の京アニ「らしくない」作品
さて、これは実際イメージ先行の印象論のお話である。
京アニといえば、代表作ともいえる作品が数々存在する。ハルヒやKANNON、CLANNNADにらき☆すた、けいおんに日常、氷菓など並べて観れば誰もが納得するような作品揃いである。
それと今回の「中二(ry」とを比べると出てくる感想は「なんか違う…」というものである。というかぶっちゃけ、私の感想ではある意味仕方がないというものでもあるが「ハルヒ」の印象がちらほら見え隠れして仕方がないのである。そういう意味では「京アニらしい」とも言えなくもないのかもしれないが、私としては「リトバスを蹴ってまで(実際に話が来て、その上で断わったのかどうかは知らないが)作った作品かー」と思うと、ちょっと思うところはある。
まあ、JCに渡ったからこそ、あのクドの犯罪的な可愛さが顕現したかと思うとそれはそれで思うところはあるのだが。
閑話休題。
さて、話を総括すると、どうやら私の周りの人々は私を含めて中々偏屈家が多いようである。
実際問題、ニコニコ動画でのMADの盛り上がりぶりや(それ自体が作品の人気を反映しているかと問われれば実は疑問ではあるのだが)twitterなどの視聴者を鑑みると、それなりに人気であるというのは間違いないだろう。
指標としては、冬コミでの同人誌の冊数で測ることが出来るとは思われるが…(笑
(でもいい加減、SAOのアスナ絵は見飽きました(辟易))
さて、小難しい理論をこねくり回したわけだが、私自身の評価としては「それなりに面白い」というものである。まあ、他人に進めるかどうかを問われれば、私は迷うことなく「リトバス」と「ジョジョ」を進めるレベルだということだけは確かである。
さーて、今日も録画したアニメ見よう。
PSYCHO-PASSのお話
PSYCHO-PASSはフジテレビのノイタミナ枠で放映されているアニメである。
原作者はFate/Zeroや魔法少女まどか☆マギカなどでおなじみの虚淵玄さん。
まあ、そんな彼が描く物語ですから、勿論普通ではないわけで。
心理傾向、性格傾向のみならず、その人物が持つ能力、あるいは職業適性など、ありとあらゆる「人生の指針」を、機械によって数値化できるようになった世界での話。
人々は、それらの数値、俗称「サイコパス」に一喜一憂しながら日々を生活していた。
同時に、このサイコパスはその人間が持つ「犯罪係数」をも明らかにした。つまりは「犯罪の犯しやすさ」を目に見える数値にして、人々の前にさらしたのである。
最初にこの話を聞いたときに思ったのは、「それなんてディスティニープラン(※1)?」だったが、まあ問題はそこではない。
この物語のえぐいところは、システム自体は人間の「性善説」を高らかに説いているところである。
人は元々生まれながらに善であり、悪へと傾倒するのは「後天的」なものである、ということだ。これの何がえぐいかといえば、「なら、『悪に染まりやすいもの』、または『悪に染まってしまったもの』は、善には不可逆であり、すなわちこれを殺しても問題はない」ということだ。
なぜ、悪なるものを殺すのかという、そもそもの発想の飛躍がここには生じているが、この世界では「悪」とはすなわち「死に至る病」と同様に扱われている。
悪に染まった人間は、それ自体が周囲の人間を死に至らしめる可能性を秘めており、またその悪は「人に伝染する」
ならば、悪が伝染する前に、その感染源を殺そう(遮断しよう)というのが、発想の根源にあると考えられる。
これを実行するのが、暴徒鎮圧用システム「ドミネーター」
麻痺用のパラライザーと、射殺用のシステムの両者を内包しており、対象の脅威判定、つまり悪への染まり具合、死に至る病の進行具合で麻痺させて適切な「治療(メンタルケア)」を受けさせるか、射殺するか決定するのである。決定するのは、サイコパス測定を行っている、総合システムなのだが。
しかし、ドミネイターって何を射出してるんですかね?機械にどでかい穴をあけたり、貫いた人体が爆発試算してたりするし…陽電子でもぶっ放してるんですかね?専門じゃないんで、全然わかんないですけど。
さて、まあ前置きはここまでにして。
いや、ぶっちゃけ話したいのって、PSYCHO-PASSの話、そのものじゃないんですよね。
いえ、確かに面白いですよ。PSYCHO-PASS。でも、気になるのはその中に出てくるホログラム技術なんですよね。
まあ、これについても完全に畑違いなんで間違いだらけのお門違いなんですけど、あれなかなか面白いですよね。
一瞬で壁紙や内装を変更したり、着ぐるみをかぶってるように見せたり。
でもあれっていったいどうしてるんですかね。AR(※2)でも使ってるんですかね。いや、それなら全員が共有のデバイスを装着しないといけないしなぁ。
私が考えるには、第5話で、おっちゃんが「ホログラム対策には、高い酒」みたいなこと言ってたんで「酩酊状態になったら、なんかあるのかな?」って思ってたら、いきなりおっちゃんが火を噴いて、さすがの私もびっくりしましたけどね。
結局、スプリンクラーを起動するのが目的だったようですが、結果的にはスプリンクラーでホログラム異常を止められましたけど、あれって結局どうなんですかね?
ホログラム発生装置を水没させて破壊したのか、あるいは…
前者は、生活している最中に誤って水をかけて壊してしまうリスクを考えるとあまり現実的ではありませんので、私はこう考えました。
つまり、極小のナノデバイスを使ってホログラムを実現しているのではないか、とね。
思い出してみれば、第1話で雨が降っている最中は、ピーポくんらしきホログラムにはノイズが走ってましたよね。あれは、雨によってナノデバイスが空中に固定しているのが難しくなったからじゃないかと思うのですよね。
というか、そういったものでも使わない限り、固定されている部屋の中はともかく、変装に使えるような身にまとうシステムとしては使いにくいと思うんですよ。簡単に言うと、ホログラムの投影先が移動していると、それと同時に投影元も移動しないといけなくなるわけでして。
それなら、有機ELみたいに、発光する極小単位を使えばって話ですよ。
まあ、実際のところは調べてないんで全くの不明ですけどね。
ただ、このシステムがサイコパス測定システムと合体することで、広域の情報を確保できたりと、話的にはそっちの方が面白い気がするんですけどね。私的には、「それなんて言う学園都市(※3)」ですけど。
こういう話って、大体がこういったシステム自体が「自我」を持って人間をより良い方向へ進化させようとするけど、主人公たちがそれに反旗を翻して、多くの激闘の末、「俺たちは、自分で決めて、自分で生きる」とかなんとか言って、システムの中枢をぶっ壊したりするのが常ですが、果たしてどうなるんですかねェ。非常に楽しみです。
※1:ディスティニープラン
アニメ、機動戦士ガンダムSEED Distenyで提唱された、遺伝子情報によって職業適性、能力適正を見極め、文字通り「生まれる前から人生にレールが引かれた」状態にする人類救済計画。
これにより、自分の能力が正しく発揮され、自分に最も合った地位と名誉が保障され、人々の間で競争がなくなり、平和が実現されるというもの。しかし、もちろんそこには職業選択の自由もなければ、恋愛相手の自由も存在しない。それに人は競争を忘れて退化してしまうだろう。
欲望は進化のために必要なのだよ!HappyBirthDay!←それなんていう仮面ライダーオーズ…
※2:AR
Augmented Reality、拡張現実感のこと。PSYCHO-PASSの後番組、ロボティクス・ノーツでも扱われている、デバイスで撮影した映像にリアルタイムで情報を付加する技術のこと。
同作品内では、人を認識してデバイス上でコスプレさせたり、撮影したものの名前を表示したり、おそらくGPSなんかと連動して、ARアプリでしか見られないAIを作ってたりしてた。あそこまで認識上手く行けたら苦労はしないけどね…
※3:学園都市
ライトノベルズ、「とある魔術の禁書目録」に出てくる架空の都市。その中は科学技術が20年近く進行しているとされ、その学園都市内には、理事長が情報収集に使うために、無数のナノデバイスが漂っている。