こんにちは!桐川右煌です。
以前「神様は何が楽しくて、この世を作ったのですか?」とのご質問に対して、「全ての記憶をコレクションするため」と回答した過去記事がありましたが…
今回は、この記事に関してのご質問となります。
お客様「神様は全ての記憶をコレクションするため、と言いましたが、では事実の情報はどうなのでしょうか?
人は事実を曲げて記憶している場合もあるので、記憶はアテにならないのではないですか?」
神様「今回の質問者は、なかなか良い視点を持っているね。
その通り!
記憶は全くアテにならないのだ。」
桐川「確かに…
人って事実をひん曲げて記憶していることって多いですよね。」
神様「事実を記憶として留める場合、事実通りに記憶すること自体不可能なのだ。
大抵は自分に都合よく改変していたり、話を盛るように記憶も盛るなんてのも、よくあることだろ?」
桐川「だとすると、我々の記憶って事実と違って曖昧で、時には事実とはかけ離れている場合だってありますよね。
神様「いや、そうでもない。
例えばの話、オマエが映画を見に行ったとする。
その時に、事実だけが淡々と記録された映画と、情緒豊かな視点で展開していく映画があったなら…
オマエはどちらが見たいかね?」
桐川「ルポルタージュ風が良いか、ドキュメンタリー風が良いかって感じですかね?」
神様「中には事実が曲がりすぎて、フィクション風になってしまっている場合もあるとしたら…
さあ、オマエは何が見たい?」
桐川「映画でしょう?
だったらフィクション風が見たいです。
その次にドキュメンタリー風。
ルポルタージュ風は、何か面白くなさそう。
見てる途中で眠くなって寝ちゃうかも。」
神様「そうなんだよな。
コチラとしても、事実というのは淡々としていて味気ないのだ。
だが記憶は事実が歪められていることが多いが、その時の感情も記憶として残っている。
この感情の記憶ってのが、また良くてだな。」
桐川「まぁ確かに…
感情の記憶と、事実の情報があったとして、より情緒的で面白味があるのは、感情の記憶でしょうね。」
神様「その通り。
喜怒哀楽があるからこその面白さは、事実を把握するより遥かに魅力的なのだ。」
桐川「では、その魅力的な記憶のコレクションはいいとして…
お客様の質問にもあるように、事実の情報は、一体どうなってるんですか?」
神様「もちろん、事実の情報も、ちゃんと保管されているのだ。
例えるなら、監視カメラでの映像が保管されているような感じだな。
あらゆる視点からの事実の情報が、どの時点であっても全て保管されているよ。」
桐川「まじっすか!
では、イメージとしては、個人の記憶は一元視点で保管されているのに対して…
事実の情報は、多視点で保管されているってイメージでしょうか?」
神様「まあ、そういう感じかな。
なので記憶が事実と乖離していても、全く支障はないのだ。」
桐川「そうなんですね!
では我々は、事実を曲げて記憶しても大丈夫そうですね!」
神様「オマエの記憶力は、ハッキリ言ってめちゃくちゃだし…
事実を曲げてってより、捏造してることすらあるからな。」
桐川「そんなに曲がってます?
自分としては、事実通りに記憶してると思ってるんですが…」
神様「自分のことを、そんな風に思い込んでいる時点で、既に捏造してるよな
自分が如何に偏って記憶しているか、自覚した方が良いぞ!
それに、オマエが私のことを思い出す場合は大抵、被害妄想気味だしな。」
桐川「いや、被害妄想ではなくて…
私は実際に、パワハラされてますから…」
神様「ソレが捏造だって言ってるんだよ!
私は優しい!
コレこそが事実なのだ!」
…事実を曲げて記憶しているのは、誰かさんも一緒のような気がします
では、まとめです。
「神様は全ての記憶をコレクションするため、と言いましたが、では事実の情報はどうなのでしょうか?」
《答え》
記憶がコレクションされてるように、事実の情報もちゃんとコレクションされています。
だから間違えて記憶していても、全然大丈夫です!
以上、スパルタ神様 質疑応答〜その30〜でした