<突然の電話>
11月29日のお昼過ぎ、マンションを管轄する居民局から突然電話が掛かってきた。
「今、住居に居るのか?」
「住んでいるのは何人か?」
理由を言わず、個人的な事を聞いてきたので、ちょっと警戒して質問を返した。
「なぜそのような事を聞くのですか?」と尋ねたら、早口で「密接者」ナンタラカンタラというので、文字に書いてメールで送ってほしいと依頼して一旦電話を切った。
ガーン!!
送られて来たメールには、「你是一般密接,需要出去集中隔离2天、回来居家隔离3天。」とあった。
*あなたは一般的密接者で、2日集中隔離し、家に帰り3日間隔離。
週末の仕事で、色々な場所へ行き、きっとそのどこかに陽性者が出入りしていて、私もそこを利用したのだろう・・・。
正直言うと、自分自身もこんなにあちこち出入りして、濃厚接触者にならないだろうか・・・と心配が頭をよぎったことが的中してしまったのだ・・。
「いよいよ、私にも来てしまったのか・・・・」と、落胆する間もなく、とにかくスーツケースを取り出し荷物をまとめた。
幸いホテル隔離ということで、少しは安心したが、何せこのお国、現地についてみないと果たして本当にホテル隔離なのかどうかはわからない・・・という考えも私の頭をよぎった。
<電話の4時間後、我が家に大白が来る>
自宅にPCR検査の大白(白い防御服を着た職員)が来た。
週末は、お昼も夜も外食をしておまけにカフェも利用した。
デパートやスーパーでも買い物をしたことを思い出し、「もし、陽性者が利用した飲食する場所で、空気感染していたらどうしよう・・・」と心配になり、ホテルへ到着しても検査結果が私のスマホに届くまで(約8時間後)ドキドキだった。
結果は陰性。中国語で”阴性”の文字を見てこれほどホットしたことはなかったかもしれない。
自宅での検査後、待てど暮らせど連絡は無く、約4時間以上過ぎて送迎のバスが到着との連絡があり、マンションの門へ行くと、そこに常駐している門衛から白い防護服を貰い、雨の中その場所で身に付けバスに乗った。
<送迎バスの中で>
2020年11月末にコロナ禍で上海へ戻り、空港から隔離ホテルまでのバス同様、どこに連れていかれるかも聞かされないまま約1時間以上あちこちのマンションを経由して、私以外に8名程をピックアップして約90分後に自宅から30分程度の隔離ホテルへ到着した。
2020年11月の隔離ホテルでの様子が鮮明に思い出された。
あの時と違う点は、係員も比較的高圧的でなくフレンドリーで対応してくれる事だった。
バスの中はシーンとしていた。
その静けさが、私の脳裏に「屠(ほふ)り場へ連れて行かれる牛のような・・・」というある文章のフレーズが思い出され、これから自分にどのような事が起こるのか不安になり、ちょっと惨めな気持ちにもなった。
<ホテル到着>
バスがホテルへ到着して、その大きな看板に”Holiday Inn”という文字を見た時に「良かった」と安堵した。
ホテルの裏口からみんなでぞろぞろ入り、カードキーを受け取り入室すると、全体に消毒液?なのかケミカルな匂いがしたが、総じて清潔な印象だった。
ペットボトルが12本、電気ポット、きれいなマグカップ2つ、ティッシュ3箱、ごみ袋、用を足した後便器へ投入する消毒薬、バスルームには歯ブラシセットと備え付けのシャンプーコンディショナーボディ-ソープ、タオル一組とバスマットがあった。
自宅から日本食とフルーツもいくらか持参したが、冷蔵庫は設置されておらず、丁度窓の外は小雪がちらつき、要冷蔵の食品は窓のフックにつるした。(2020年11月の隔離ホテルも、冷蔵庫が無かったかもしれない・・・。もう、覚えていなかった。)
<隔離の知らせ~ホテルまでの時間の経過>
隔離を知らせる電話→数時間後に自宅でのPCR検査→その後4時間後のホテルへ送迎のバス到着
このような流れだった。
<所感>
率直な感想として、私は日本人なので予め予定された時刻での行動なら、待たされたり待つことは比較的耐えられると思う。
しかし、日本とこの国の違うところは、各人の持つ時間への配慮と尊重だ。
この国の時間の観念を批判する気持ちはないが、今回の経験で改めて(自分は中国在住約15年だが)、ただただ待たされるこの国のこの対応に、イライラするする自分だと良くわかった。
なかなかその中で、じぶんを楽観的に扱うことが出来ない。
何が起きるかわからない・・・ということの対応に、私はまだまだ器が小さいと自覚したのだった。
不安だったりイライラすると、身心に影響が出る。
2日ホテルで過ごして、体中がこわばってしまった。
すごく疲れた。
家に残してきた愛猫のことも、心配だった・・・。
今風の言葉で言うと、ストレス半端なかったのだと思う。(笑)
今回、私は一人で隔離だったが、同じバスには3人の親子連れもあり、子どもは激しい咳をして翌日病院へ行って治療(点滴)を受けた。
現在、上海の各地で隔離があり、封鎖も毎日どこかであり、そこを利用したり陽性者の乗車したタクシーにたまたま乗車してしまうと、追跡されてホテル隔離になるのが今の上海の日常だ。
これを読んでくださる方には、上海在住者や上海への転勤帯同も視野に入れて参考に読まれている方もいらっしゃるので、何かの参考になればと思い、あえて今回、私の経験を書かせていただいた。
2020年11月末、日本から上海へ戻って2週間のホテル隔離を経験した私だったが、2年後も2日のホテル隔離を経験した次第だ。
2年後のホテル隔離は、係員も慣れてしまったのか、このホテル隔離の対象が重篤でないほぼほぼ陰性者のせいなのか、係員は皆が柔らかい対応だった。
今晩、区が用意した迎えの車で帰宅して、自宅での自己隔離3日が待っている。
今年は3月のロックダウンに始まり、半年以上教室が休講になった。
何とか残り1か月は、生徒さん達としっかり楽しくお稽古したいものだ。
来年はどうなることやら・・・。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。