ある日突然、母は迷子になって
「自宅に帰ってはいけません」と禁じられた。
赤の他人の行政側のケアマネによって、そう決められた。
こんな理不尽なことがあろうかしら。
とにかく「一人暮らし禁止」「一人にしてはいけない」となれば、
一緒に暮らすこともできない。
(私が外出する度に、全部連れてゆかないといけないことになる)
子供達が小さい頃から仕事をしていたので、私が外出のつど、ファミリーサポートや
ベビーシッターさんに来てもらうなど、託児してこなしてきたけれど、
老婆のシッターサービスがないじゃないの!(デイケアやショートステイのような計画的な利用しかできない)
私が発熱して倒れた時は、子供たちの面倒を見てくれる人たちがいた。
近所の奥さんがご飯をもってきてくれたりした。ママ友が幼稚園帰りに預かってくれたりもした。
しかし、老婆のお世話は簡単に頼めない・・・
というわけで、「グループホーム」という9人で1フロアの共同生活体をする施設を探すように命じられたのが昨年秋。
人気のホームというのは、皆さん意識がハッキリしている時に早々と予約しているようで、20人待ちという・・・
待って待って、奇跡的に入ることができた。
母が気に入っていた施設だから、良かった↓
季節を追って、花々が美を競う素敵なガーデンなのだ。
広大な敷地に、農園、収穫したばかりの野菜を使って温室でてんぷらをつくったり、
後ろに構える山の果実をもいで、ジャムをつくったり、
刺繍のハリと糸を動かし、
絵を描く毎日・・・・
お庭の東屋ではオープンカフェも。
この風景を見て「素敵
」などと言う方は少なくない。
![イエローハーツ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/515.png)
そんな素敵な暮らしがあるのか、と言う方もいる・・・
しかし、本当にここは終の棲家か?
素敵な風景と、かいがいしい介護士さんたちと、何不自由ない生活と、栄養満点の3食とおやつをつけておけば
そこは人生の楽園なのか?
否。
私は、不自由であっても、料理が下手になっても、
掃除や洗濯が面倒でも、
自分らしい「最後」を体感したい。
終の棲家は、風景の素敵なガーデン付きのホームでお世話されて過ごす選択はしたくない。
孤独でも、病気でも、自宅で終わりたいのだ。
母は、そんなことを考える認知力さえ失っているかもしれない。
自分で頑張って建てた素敵な「我が家」を忘れてしまう哀しさは、
選択の自由を置き去る哀しさは・・・
母には、哀惜の感情さえ無いかもしれないが、楽園とはそういうふわふわしたものなのかもしれないが。
私は嫌だ。