文化の違い、個性の違いを大事に!だって『多様性』を尊重する社会だから!!
……
・・・???
ダイバーシティというスローガンを叫び始めてはや15年以上たっただろうか。
大事なことだけど、理解すべきことだけど
「それちょっと違いまっせ」
という出来事に日々遭遇する。
何でももの事には両面(いや、多面性)がある。それは私は十分にわかっている。どちらかというと、そういうものの見方を常にしてきた性質だ。この50年くらい。
だが、
日本に住んで、「日本の文化を大事にし、尊重し、継続すること」は、
多様性を重んじるという名のもとに 壊してはいけないと思う。
■事例1
近年のコンビニ店員が、いろんなお国の人がカウンタ―に立って働いている。
だからといって、「ありがとうございます」とか「こんにちは(にこっ)」とか
言わなくていいわけがないと、私は接客業の基本として思う。
だが、いろんなお国の多様性を尊重するべきという優しい人たちは
「愛想よくしなくていいわよ」という。
いやいや、いかんと思うよ。コンビニの店長は機械の打ち方+接遇訓練もすべき!
これ、譲りませんから私。➡全部セルフレジにするならよろしい。
ひととの接触をしたくないお客のためにセルフレジがあるのだ。
人と接して支払いをしたい人のために、人間のレジ打ちがいるのだ。
「こんにちは」「ありがとうございます」「こちらです」「にこっ」は、
仕事の一環だよ?
・・・・・・
と、私が息まいたら、とあるご婦人はこういった。
「人の個性ですから、働いているだけえらいです。ヒトに寛容にならないと。多様性です」
・・・
はあ~~~?
多様性を重んじることと、「礼儀をマニュアルとして覚えない」事は違う問題よ!!!
日本にいて、日本様式のお店で礼節をもって働くことの誇りを、多様性の名のもとに崩壊させてはいけない!!
ご婦人「まあまあ、いろんな時代ですから」
・・・
はあ~~~?
・・・・・・・・・
■事例2
最近は挨拶をしたらいけないらしい。同じマンションの大人に対しても、子供たちは挨拶しちゃいけないらしい。(旗振り運動で腕章をつけているおとなにしか挨拶しちゃいけないらしい)
「何があるかわからない時代だから」。とのこと。何かする奴は何時の時代でもおったが、
挨拶したから何か事件が起こるのかい??
なので、こちらから挨拶してもフル無視されることが多い。子どもたちは挨拶をかえしてくれるが、
おとなもフル無視することが多い。
さて、先日、私の駐車場の前に知らない車がドンと停まっていて、駐車できなかった。
ここにとめるか?と目を疑うような止め方。
困り果てること数分間。初心者マークがついている車だからって、この通路をふさぐ(そしてうちの駐車スペースの前を封鎖する止め方)はダメだろう。
初心者こそ、こんな止め方できない気がする(習ったばかりなんだから)。
待っていたら、やっと20代男子が上から降りてきた。マンションの住人の息子だった。(挨拶したこともなく、お互いよく知らない人)
で、一目で「自分の車が通行の邪魔してる」駐車違反とわかるだろうに
私の車と私をフル無視した。私は車から外に出て仁王立ちしていたのだが、私の横をすどおりして自分の車に乗り込んだ。
「見えんのか?」
見えないのならしかたないが、見えない人が運転してはいけない。
この状況だったら、どんな人でも何か言うはずだ。
「すんませ~ん」か
「あ、こんちは」か
せめて 「あ」か
せめて 「なんすか」
腕組みして仁王立ちしている私を見たら何か反応すると思うのに、そう思う私が、人に寛容ではなかったらしい。
その男子は、無言フル無視。
はああ~~~~?![ネガティブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/625.png)
せめて「なんじゃこのあま!」とすごまれたほうがマシだ。人間として対面してもらえてるから。
私という人間をまるでいないかのようにできるのは、何かの病気かもしれないけれど、
どういうこと?!
これをある人に話したら
「子供たちが、挨拶したらダメって教わって育ってるから、しかたない」
だって!!!
多様性とか、認めんぞ!
と心で暴れた私です。