子供の頃から背は高い方だった。一番ではなくて、後ろから2番目くらい。
幼稚園の頃から高校までずっとだ。
ところで現代の学校では「背の順」に並ぶのかしらん?
現代の学校では、人権だの多様性だの差別排除だの寛容だのなんだかんだの(うっさい)ことがらにより、「背の順」さえ配慮されているのだろうか? 「あいうえお順」の小学校を見たことがある・・・でも
外見って、外から見てパッとわかることだから、そこに触れずに「背の順とかやめよう」ということこそ差別意識だ。
なんなら「高い順」にしてほしい。背が高いことで迫害されてきた・・・大袈裟にいってるけど、肩身が狭かった覚えがある。
まずよくあるのが
・背の低い人は、背が高いものの前に平気で突っ込んでくる
写真撮るときや、並んで何かを見学するときに、わたしたち「高い族」は自然と遠慮がちに端っこか後ろに身を潜ませるようになってくるのだ。小さいころからそうなのだ。
・遠慮ガチに生きていても「デカい」などと悪口いわれるのだ。「太っている」のはどうにかできるが「背丈を削る」のは無理なのに。
女子に「デカい」っていうのは明らかな侮蔑なのだ。
だって、小さい人は自慢そうに「私って小さいでしょう?(=かわいい)」と言ってくるから。
ほらこんなに被害者意識ばんばんの発言をするくらいに、私は哀しみを引きずって歩いてきた人生なのだ。
さて、ながながと恨みつらみを述べたが、
「私の人生に再びこんな薔薇色の日々がくるなんて!」と喜ぶべき推し活人生がリスタートした。
もう二度とコンサートもライブも行かないだろうと諦めていたのに、
強い勢いでtimelesz(タイムレス)を推すようになった。「timeleszって?」と謎に思う方はググってください、近い将来「嵐」くらいになります。
(そういえばその昔、私が「嵐が好き」といったら周囲から「それなに?」って言われたものだった。本当だよ、嵐はデビューから数年黎明期があったのだ)
で、新制タイムレス初のアリーナツアーが当たりまして!
愛知スカイエキスポに遠征することになった。奇跡的だが旧知のキレイコンシェルジュさんも同日同時間の会場に当たったのでご一緒だ!!
で、ライブ中は「立って」みるわけだ。ドームと違うから、もしかしたら私が立つと、私の後ろの人は見えにくいかもしれない・・・・
そんなことを一番に考えてしまうのだ。
「目立つうちわを持とう」とか強気で考えられる方が羨ましいくらい。ぴょんこぴょんこ可愛らし気に飛べる女子に(うまれかわったら)私はなりたい!
何とかして目立たない立ち方を・・・と後ろへの配慮を一番に考えてしまう「背高い族」の悲哀をわかってほしい。 ぴょんこぴょんこなんてできず、できるだけ小さくなろうと考える・・・
ということで、私は目立つうちわでもなく素敵な服でもなく、「背が低くなるぺったんこ靴」を探し回っている次第。
あと、ふわふわボリューム服とか避けて、シースルーかつ細い服にして、ちょっとでも後ろの方の邪魔にならないようにしたい。
あ、奇しくもツアーで一緒の旧知のキレコンさんも「背高い族」だわ