そして、現代日本の救世主役として、近年殊に神格化されているように感じる瀬織津姫。
穢れを祓う、水に流す。
私たち人間が作った穢れを、瀬織津姫は大海原に持って行って流してくれるという。
そして、今回そこに疑問を持った。
大麻の幣(ぬさ)で祓う、水に流す、それで本当に穢れが祓えるのか?ということに。
本の中に書かれていた大阿闍梨の話。
誰かの作った穢れを祓って、その人が持つ因縁をコントロールしようとすることは、道理(宇宙の理)を捻じ曲げる行為になるのではないか。
その結果、その代償としての大阿闍梨の病や早世なのだろうと。
ということは、私たちが寺社で祓ってもらう穢れというのは、誰かに肩代わりしてもらうというだけで消失はしないということだ。
そしてまた、私たちは自分で自分の穢れを作り出す。
そのエンドレスループ。
そして、浄化力があると言われているし、そのように思われている「水」について。
私自身も何の疑いもなくそのように思っていた。
けれども、今回その性質を改めて考えてみた時に、ちょっと待てよと思った。
“ありがとう”という言葉をかけた水は綺麗な結晶になり、汚い言葉を浴びせた水は汚い(崩れた)結晶になるという話は聞いたことがある人も多いと思う。
それが本当なら、「水」というのは受けた言葉(波動)をそのまま映し出す、文字通り“水鏡”の性質であるということ。
本当に水に浄化力があるというなら、汚い言葉をかけた場合でも綺麗な結晶にならないとおかしい、そうなるのが道理なのではないのかと思ったのだ。
実際、工場や家庭から出る生活排水を垂れ流した河川は水の力で自動的に綺麗にはならないし、流したら流しただけ水は汚くなる。
つまり、水自体に浄化力はないということだ。
(水が綺麗になるのだとしたら、それは、“微生物”が汚染物質を分解してくれるから)
ということは…。
瀬織津姫が大海原に持って行って流す穢れというのは、潮流に乗ってそのまま世界に拡散するだけなのでは?
(福島原発から放出される汚染水のようにして)
もしかして、瀬織津姫というのは穢れを世界に撒き散らしてるだけ?
という風に取れなくもない。
…………。
自分でも思ってなかったまさかまさかの展開。。
つづく