人間のAI化ー続き | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

そして思ったのが、私たちはもしかして、本当は(潜在的に)望んでいるのかもしれないということ。



AI化されることを。



子供時代からの学校教育によって、○かXか、正解か間違いか、常に○を選ぶことを良しとして教育されて来た私たち。



間違うことは失敗でいけないこと。



点数が悪いと、先生や親といった大人たちから褒められない。



そして、学校のテストならまだ良いけれども、社会に出てからの人間関係では、そういった明確な○Xが無い。



人によって○だったりXだったり、時と場合によっては入れ変わったり、私たちは、そういった、常に正解を考えて右往左往する人生に疲れ切っている。



もう何も考えたくない、考えられないというのが正直なところじゃないだろうか。



だから、変化を望まない。



いつもの同じルーティンで、頭を使わず、社会常識に従って、無難に平凡に、正解も間違いも無難にこなせる人生を選んでいる。



だったら、そういう人間たちにとって、思考を操作されてコントロールされるのは、むしろ好都合では?



自分で考えなくていい。



上(政府)の言うことを聞いて従ってさえいれば、生活の保障はされて生きていける。

(ベーシックインカムとかでね)



世界統一政府というのは、もしかしたら、現代社会を生きる疲れ切った私たちにとって望みの世界なのかも知れない。



少なくとも、マスクやワクチンを打つことに疑問を持たず、すんなり受け入れて従っている大多数の人たちにとって。



指示待ち人生。



そういう人たちにとっては、パラダイスな世界なのかも知れないね。



けれども、それと引き換えに、自分の人生も握られることになるけどね。



きっと自由に恋愛は出来なくなるし、許可された人としか結婚も出来なくなる。



自分の人生が管理される。



子供も自由に産めないし、人口調節によっては、中共から迫害を受けているウイグル人ように、中絶や不妊手術を強制させられるかも知れないし、もしかしたら、知らない誰かの子供を産めと言われるかも知れない。



産んだ子供も奪われるかも知れない。



臓器を提供しろと言われたらそれに従って、もし一つしかない臓器が欲しいと言われたら、そこで命が終わる人生。



だって、家畜だからね。



だけど、チップによって思考のコントロールをされているから、きっと麻薬や精神病の薬を飲んだ時みたいに、頭がボーッとなってて、何も考えられなくて、きっと怖いとも嫌だとも苦しいとも思わない。



それはつまり、私たちがもっとも恐れている死という恐怖からも、人生という名の苦悩からも解放されるということ。



自分で決めるという責任(苦悩)から逃れられる人生。



失敗するということがない人生。



何事にも二面性があるように、考えようによっては、悪い世界でもないってこと。