刺激的なこと | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

私たち人間というのはなぜか刺激的なことが好きだったりする。


キャーキャーと怖がりながらも肝試しをしたり、お化け屋敷に入ったり。


東京ディズニーランドのような夢の国だったり、極上のスイートホテルに泊まったり。


あとは、バンジージャンプだったり、スカイダイビングだったりの命を張るようなこと。


何にせよ、それらに共通するのは皆「非日常」のもの。


そして、この世界での究極の刺激的なことといったら何だろう?


それは禁忌と言われることを冒すこと。


してはダメと言われることをやるのが、人間が一番そそられるものだ。


それは、怖さや恐れを越えたところにある。


タブーと言われるもの。


これを破ったらどうなるのだろう?といった好奇心のようなもの。


「怖いもの見たさ」という言葉があるくらいだから、人間の本質的なところには、そういった欲求があるのは確か。


まあ、それらも日常的に普通にあるようになってしまえば、人間は慣れてしまうものなのだけれど。



そして、私が思う人間の究極のタブー、刺激的なことと言ったら、きっと命を奪うこと何だろうなぁと思う。


最初はやっぱりなかなか人間をとはならないから、小動物からとかね。


それが段々と大きくなって行って、犬とか猫とか、そして最終的に人間になる。


快楽殺人とかはまさにそれだよね。


刺激欲しさから。


そして、なぜ私たち人間が刺激を欲するかと言えば、それは生きているという実感が無いから。


自分は命という存在で、「わたしは生きているんだ!」という感覚に乏しい命を生きているから。


それで、そういった刺激を受けることで、自分の感情を高ぶらせることで、自分が生きているという擬似体験をさせる。



ここで一つ言っておきたいのが、幸福な人間は、刺激なんて求めないということ。


刺激なんて求めなくても、自分は十分に幸福で満たされているという実感がある。


つまり、刺激を求めるような人たちは、基本不幸な人間だということ。


満たされていない、刺激によって何かを満たしたい、もしくは現実逃避をしたいという欲求から刺激を求める。



けれども、不幸といっても、お金に苦労しながら、毎日忙しくあくせく働いている庶民の人間はまだ幸福だ。


一番タチが悪いのは、大金持ちで生活に何不自由のない、暇な時間を持て余している人間だ。


貧乏な庶民なら、例えばもし刺激を求めて窃盗や強盗などをしても、まだ生活のためという大義名分が立つ。


けれども、お金持ちは強盗などする必要がない。


だとしたら、何で刺激欲を満たすのか。


お金があれば、ほとんどのものが手に入る。


庶民には目がチカチカするような刺激的な豪邸や生活の何もかものすべては、お金持ちにとっては当たり前の日常事だ。


だとしたら、そういった人間の行き着く先と言ったらやっぱり、さっきも書いたように究極のタブー、命に関すること。


人身売買だったり、虐待だったり、拷問だったり、命を奪うことだったりになるのだと思う。


トロフィーハンティングなんてのも、その最たるものの一つだよね。


金持ちの道楽。


そのための動物の繁殖をしてたりもするらしいから。


お金持ちは、お金という権力で犯罪も揉み消せるし、陰ではやりたい放題だろう。



人間は暇だとろくなことをしないし考えない。


それは、不幸で精神性の低い人間に限ったこと。


お金があり過ぎて働く必要がない、暇で不幸なお金持ちほど、人生で重いカルマを背負うリスクが高くなる。



貧乏って、庶民って、お金を持ち過ぎないことって。


案外、きっと幸せなことなんだよ。