お金社会へ持つ違和感 | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

もし、私がお金儲けが得意で、お金もたくさん持っていて裕福だったなら、こういった疑問や違和感を持つことはなかっただろう。


なぜこんなに違和感を感じるのか、抵抗感があるのか。


お金を稼ぐことに抵抗感があるのか。


なぜこんなに思いが強固なのか。


それは、単なる貧乏人の僻みや、お金へのネガティブな思い、感情のブロックといったものだけではないような気がしてきた。



金運が上がったり、お金がたくさん稼げるようになれば、良い思いができて人生も楽しめるんだから、素直にそうなるようなリアクションを取れば良いじゃない!



そういう、キラキラ波動で言うスピリチュアリストを見て引いた。


なんでかなーと思っていた。



実際その通りなんだし、そのように考えられない私はひねくれ者なのか?







で、わかった。



その違和感のわけ。



今はお金を持っていれば良い思いができる時代で、そういうアクションを取ることは、その時代の流れに乗ること。



その時代の流れに沿えば、なんの疑問も持たずに、不自由な思いもせずに生きていける。



かつては、年功序列の終身雇用が当たり前だった時代に、なんの不自由も疑問も感じず生きていた人たちがいたように。



または、今の洋服の流行はこれだからと、なんの疑問も持たずにそれらを手に入れて喜んで身につけること。



または、今はマスクをするのが主流だから、その流れに合わせていれば、非難されることもなく平穏無事に過ごせる。



それらの行動のすべての動機は同じところから来ている。



たとえ、疑問や些細な違和感を感じていたとしても、世間(時代の流れ)に合わせていれば、良い思いができる。



悪いようにはならない。







私は昔からマイノリティ。



いつも選ぶのは少数派。



多数派の中に真理はないと、子どもの頃から、多分心の奥底で感じているものがあるのだと思う。



スピリチュアルも、昔よりは認知されるようになってきているとはいえ、まだマイノリティ。



だけれども、そのスピリチュアルの中でもさらにマイノリティとマジョリティというのがある。



そして、私がいつも持つのは、マジョリティ、多数派への疑問。



多数の人が同じ思い、同じ考えを持って、それを支持するというのは、なにかの権威(力)によって、そういう方向へ思考が誘導されていることが多い。


あの人が言うならそれは無条件で正しい!みたいな。


けれども、多くの人から支持されるというのは、やっぱりそれだけのものがあるということも最近感じている。



その違いはなんだろう。



やっぱりエネルギー?



エネルギーの大きいものには、やはり圧倒される。