妻(女)は夫(男)に従うべきもの、という呪縛にかかっていた当時の私には、夫への不満というか、怒りと恨みの感情が溢れんばかりにあった。
それから4年。
自分が持つ、繕いのないそのままの思いや感情、考えを、恐れずにここに吐き出す作業を地道に続けて来た。
長年溜め込んで来たものを吐き出して来たら、自分の中が平和になって来て、それと同時に自分の日常も随分と平和になった。
未熟だったのだなぁと今は思う。
無知だったとも言える。
けれども、それは別に悪いことではない。
それだと苦しいよっていうだけで。
どちらかというと、自分さえ良ければの底辺の考え方だった夫。
他人(私)の意見(一般常識)を全く受け付けなかった。
歩くのが嫌いで、ショッピングセンターやスーパーの駐車場でも、少しでも店内の入り口に近い所と、身障者駐車場でも平気で停めそうな勢いの人だった。
それが、今は歩くのを前ほど厭わなくなったし、道端のゴミなんかにも全く目もくれなかった人がゴミを拾うようになった。
運動が嫌いで、パチンコが趣味のような人だったのに、今は付き合いもあってだけれどゴルフに行ってる。
家のことも全く手伝おうともしなかったのに、今はお茶碗も洗ってくれるし、ゴミ出しもしてくれるようになった。
肥満になっても猫にやたらとおやつをあげたがる癖も随分マシになった。
(どれだけ言っても聞かないし、おやつをあげないでと張り紙をしたら激怒した人。なぜそこまで怒るのか理解出来なかったし、今も出来ない)
基本的な所は変わっていないけれど、4年前の夫とは天と地くらいに違う。
ということは、きっと私もそのくらい変わったのだろう。
お互い未熟だった。
それに尽きる。
自分の方が正しいと相手のことを否定するのは「知らない」からだ。
世の中には、自分以外の価値観や考えもあるということを。
自分の世界しか知らなくて、それが正しいことだと思っている。
それが「無知」ということだ。
相手への否定の気持ちは無知の現れだ。
相手を否定したい気持ちは自己顕示欲の現れ。
否定ではなく、ただ、この人は自分とは違うのだな。
そう思えばいいだけなのに。
合わないと思う人には関わらないようにすればいいだけなのに。
クレーマーやバッシングにしても、それが出来ない人が余りにも多い、この世の中。