看取り | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

愛猫がご飯を食べなくなってからもう6日ほど。

フラフラになりながらも、なぜまだこんなに動けるのだろうと不思議でならない。

脱水症状が見られたこともあって、昨日病院で点滴をしてもらった。

これから毎日行った方が良いのだろうか?

悩むところ。

ここまで来たら、愛猫に負担がかかることは出来るだけしたくない。

きっと、持ってあと数日くらいだろうから。

けれども、少しでも症状が和らぐなら…。

どうするのが最善なのか、葛藤との闘い。

そう思っていたら、今朝になって急にフラフラと起き出して、カリカリを食べ始めた!驚

お水も自分で飲んだ。

その前に、横たわる愛猫の姿に向かって、泣きながら「ありがとう」と何度も伝えていた私。

「まだ死なないよ」

彼なりの意思表示だったのだろうか。

二年前に逝った愛猫の彼女と同じ腎不全の症状で、絶望していた私。

またあの時と同じ思いを味わうのか。

部屋の中に充満するアンモニア臭。

その中で横たわり、息も絶え絶えでいる彼女を看ているだけで、メンタルをやられそうだった。

別れるのは辛いけれども、彼女の耐えている様子を見ているのも辛い。

その3日後に旅立った時には、良かった。

やっと(お互いに)解放されたという感じだった。

その時と同じ道を辿るのだと思っていた。

けれども彼は様子が違う。

そこでハッと気づきがあった。

死ぬことは別に辛くて苦しいことではなくて、解放されて楽になることなんだと。

そんな思いが降りてきた。

なあんだ、そうなのかと。

だったら彼も楽に旅立てるだろう。

死ぬことは辛いことなんかじゃない。

そういう思いの私でいれば、彼の死に立ち会うことも怖くも何ともない。

そういうことなんだ。