フラフラになりながらも、なぜまだこんなに動けるのだろうと不思議でならない。
脱水症状が見られたこともあって、昨日病院で点滴をしてもらった。
これから毎日行った方が良いのだろうか?
悩むところ。
ここまで来たら、愛猫に負担がかかることは出来るだけしたくない。
きっと、持ってあと数日くらいだろうから。
けれども、少しでも症状が和らぐなら…。
どうするのが最善なのか、葛藤との闘い。
そう思っていたら、今朝になって急にフラフラと起き出して、カリカリを食べ始めた!驚
お水も自分で飲んだ。
その前に、横たわる愛猫の姿に向かって、泣きながら「ありがとう」と何度も伝えていた私。
「まだ死なないよ」
彼なりの意思表示だったのだろうか。
二年前に逝った愛猫の彼女と同じ腎不全の症状で、絶望していた私。
またあの時と同じ思いを味わうのか。
部屋の中に充満するアンモニア臭。
その中で横たわり、息も絶え絶えでいる彼女を看ているだけで、メンタルをやられそうだった。
別れるのは辛いけれども、彼女の耐えている様子を見ているのも辛い。
その3日後に旅立った時には、良かった。
やっと(お互いに)解放されたという感じだった。
その時と同じ道を辿るのだと思っていた。
けれども彼は様子が違う。
そこでハッと気づきがあった。
死ぬことは別に辛くて苦しいことではなくて、解放されて楽になることなんだと。
そんな思いが降りてきた。
なあんだ、そうなのかと。
だったら彼も楽に旅立てるだろう。
死ぬことは辛いことなんかじゃない。
そういう思いの私でいれば、彼の死に立ち会うことも怖くも何ともない。
そういうことなんだ。