ネガティブの扱い方 | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

「ネガティブの扱い方」という言葉は、最近知ったあるセミナーからのパクリ。

けれど、私はこの言葉がとても気になった。

これまで、ネガティブを手放しましょうという言葉は嫌という程聞いたけれど、それを「取り扱う」という発想は自分の中にはなかったので斬新だった。

だってもう、自分の中からネガティブな感情を無くすなんてことは、到底無理なことだと思っていたから。

ネガティブを扱うってどういうことだろう?とずっと思っていた。

もちろん、大金を払ってそのセミナーを受ければその内容を教えてもらえるのだけれど、私的にはそういうのはどうしても違う。

どんなに素晴らしい教えだとしても、それに大金が絡んでくると違うと思う。

これは私の感覚。

そこにはつまり、お金持ちじゃないと幸せになれないという発想があるから。

お金の心配が無くなれば、この世の中のほとんどの悩みは解決するだろうというぐらいに、この世界でのお金というものの価値は絶大なものだ。

そのセミナーも、セミナーを受けて教える立場になれば、たくさんの収入を得られますよ、人生が変わって幸せになれますよと謳っている。

内容は悪いものではないと思う。より良い人生を送るためには、知っておいて損はないと思う。

けど、その受講料は違う。というのが私の見解。

で、私にもそんな大金は払えないので、内容を知りたいと思いつつも、そこで行き詰った。

でも、損得ではなくて、私には払えない、払ってまで知りたくないという感覚があるならば、それは受けなくていいということでもある。

そして、今日になって閃いた。

「ネガティブの扱い方」について。

〜悪いことをしたらバチが当たる〜という思想がある。

誰もが子供の頃から知らず知らずの内に教え込まれている道徳心、宗教心。

それが、人生が上手く行かなくなるすべての元凶になるのだと。

この「悪いこと」とは、つまりネガティブな心のことである。

人を憎んだり、妬んだり、僻んだり、疎んだりのいわゆる醜い心のこと。

周りから性格が悪いと言われるのは、大抵が道徳心(善い人)に反した行いをする人たち。

先にも言ったように、自分の中からネガティブを消すことは出来ない。

ポジティブとネガティブはニコイチのセットであり、陰陽のように両方でバランスが取れているのである。

それを、ネガティブは悪いものですから、自分の中から追い出してポジティブ(善)だけにしましょう!なんて、そんな教えや発想は、大概にしろ!っていうくらいに私たち人間の在り方や自然から反したものだ。

ネガティブもポジティブもその両方があって正常。それが一番バランスが取れた、健全な状態。

だから、ネガティブは在っていいのである。

違っていたのはその捉え方。

「悪いことをしたらバチが当たる」というその発想。

ネガティブな心を持つ悪い人間にはバチが当たって幸せにはなれないのだというその発想。

皆が、自分の中にあるその悪(ネガティブ)を罰している。

在ってはならないものだと、自分で自分を罰している。

だからいつまで経っても、何をしても、何を手に入れたとしても幸せにはなれないのだ。

自分で自分を罰し続けている限り。

ネガティブさは人間であれば誰もが持つもの。在って当たり前のもの。

その発想では、人間の誰もが幸せにはなれない、なる資格がないということになる。