そんなの考えられない?
世の中が混乱してしまう?
そんなの生きていけなくなるじゃない?
人間が生きて行くためにはお金が必要だ。
だから、必死でやりたくもない仕事をして頑張っているんじゃないか。
お金が無かったら何も買えないじゃないか。
もし、宝くじが当たったら…。
こんな仕事なんてさっさと辞めて、南の島でバカンスだ!
でも、一生生きるのに困らないだけのお金を手に入れたとして、一生何もせず、働かずに生きて行くというのも現実的ではないよね。
最初は浮かれていろんな物を買ったり、旅行に行ったり、贅沢三昧で贅沢の限りを尽くしたとして、それでもまだある有り余るほどのお金。
お金を手に入れてやりたかったことをやり尽くしてしまった後。
その後はどうだろう?
もう何もしたいことが無くなった。
きっと、その時に襲ってくるのは退屈さだ。
退屈で退屈で死にたくなる。
お金があっても人生なんてちっとも楽しくない。
きっと地道に働いていた日々が懐かしくなるだろう。
人というのは、お金よりも何よりも、本来は働いて誰かの役に立ちたいと思う生き物なのだ。
自分の存在が誰かの役に立っている。
それが生き甲斐になるのだ。
それが生きる楽しみとなるのだ。
もし、この世界からお金が無くなっても、世界は別に何も変わらないだろう。
人々は変わらずに働くだろうし、人々は、お金を稼ぐ目的じゃない本当の自分のしたい仕事をして、それを人々に無償で提供する。
住むところも自由。
野菜を作りたい人は野菜を。お米を作りたい人はお米を。洋服を作りたい人は洋服を。そして、それらを運送して人々の手に届ける仕事。自分が良いと思うものを紹介する仕事。掃除が好きな人は掃除をすれば良いし、子供が好きな人は保育を。教えることが好きな人は先生を。
人々が自分のしたい、得意なことをして、それを無償で提供して行く。
自分が作りたいと思う、したいと思うことをして生きて行く。
きっと、それで世の中は上手く回って行く。
お金の為にと嫌々仕事をする人はいなくなるし、欲しい物は何でもタダで手に入るのだから、将来への不安も心配も何も無くなる。
人々は不安からのストレスから解放されて、病気やなんかの身体の不調を訴える人もグッと少なくなるだろう。
お金という価値判断が無くなることで、値段での価値基準が無くなる。
値段に惑わされての良い悪いという判断が無くなる。
残るのは、自分が好きか嫌いか、良いと思うかそうじゃないかという自分の感覚のみ。
世の中からお金の不安というものが無くなれば、何かに備えるという感覚も無くなって、無駄に稼ぐ、過剰な生産、無駄な労働というのも無くなる。
お金がない世界というのは、ミニマムな世界であると共に、今の私たちの価値観で言うところの∞金持ちになれるということだ。
私たちの誰一人として例外なく、すべての人が。
備える(不足)という感覚が「欲」を産む。
それで、世の中から飢餓が無くなるし、無駄な飽食も無くなるし、無駄な殺生も、人間の優越も。領土を取り合う、資源(お金)を奪い合う戦争というものも無くなる。
生きること、将来への不安が無くなることで、人々は穏やかに生き、幸福感に満ちて、この世界はまるで天国のようになるだろう。
ただ、問題は、本当に人々はそんな世界を望んでいるのかということだ。
今現在、充分に裕福でお金に困らない暮らしをしている人には全然魅力的な話ではないだろうし、そんな天国みたいな世界なんてつまらない、退屈だと思う人もいるだろう。
苦労や辛い体験の方がしたい、勝ち負けのある人生の方が楽しい、ドラマのような刺激的な人生を送りたいという人も、やっぱり少なからずいるのだろうから。