人生とはままならないもの。
私たちはままならないこと、思い通りにならないことにストレスを感じる。
何でも思い通りになることを望む。望んで期待する。
そして、怒り失望する。
そして、諦めることを覚えて行く。
人生とはその繰り返しであると感じている。
私たちは、この人生で自分の無力感と諦めばかりを覚えて行く。
それでもって、もし何でも自分の思い通りになったとして、私たちは果たして満足するのだろうか?
思い通りになるというのは、思い通りにならないストレスから解放されて、身も心も軽くなる状態。
今の思い通りにならない私にはそう思えるし、その状態にとても憧れる。
そうなりたいと切に思う。
けれど、思い通りになることもならないことも、どちらも真逆のことのようで、自分の「思い」というものに囚われている点では同じ。
その自分の「思い」とは、つまり自分の価値観のこと。
これまで教え込まれ、身に付けて来たあらゆるルールやこうあるべきものといったもの。
これまで自分が培って来た価値観に基づいた思い通り。
思いは重い。
それで、一時の満足感やストレスからの解放感は味わえるのかも知れない。
けれど、その思い通りは重い通り。
きっと、その自分の思い通りになったとしてもまだまだ重いのだ。
身も心も軽くならないのだ。
私が到達したい思い通りにはまだその先があった。
その為には、脳(思い)を洗う洗脳が必要だ。