久しぶりでシカゴを観た。
ミュージカル映画というものを初めて観た作品だった。
あの歌とダンスの迫力。
(特にキャサリン。イキイキと本当に楽しそうに踊っている姿がとても印象的だった)
衣装や曲の素晴らしさ。
映画館で観て本当に良かったと思った作品だった。
内容はというと、常識人から見たら、クズと言われるような人たちの話。
不倫相手を殺したり、浮気した夫とその妹を殺したり、ちょっとしたことで激昂して殺人を犯してしまった女たちの話。
そんな彼女たちは踊りながら歌う。
殺されたのは自業自得。もしあなたが私なら、あなたも私と同じこと(殺人)をすると。
自分は常識人だと自負する人から言わせれば、どんなに腹が立ったとしても、私はそんな馬鹿なことはしない。あなた達のようなクズとは違うと鼻で笑うだろう。
それは本当だろうか?
大嫌いな誰かを殺してやりたい。死ねばいいのに。いなくなればいいのに。
一度でもそう思った経験はないのだろうか?
だとしたら、とても幸せな人生だ。羨ましい限り。
私はというと、ボコボコに殴って蹴りを入れて首を締めてやりたいと、これまで夫に何度思ったことか。
でもやらなかった。
なぜか?
人に暴力を振るってはいけません。人を殺してはいけませんと教育されているから。
人を殺したりしたら、それがどんな理由だったとしても、警察に捕まり、マスコミに囲まれ、友人知人に知れ渡り、家族や身近な人に迷惑を掛けることになる。
あいつは殺人犯だ、犯罪者だと罵られ、後ろ指を指されて一生を過ごすことになる。
言い付けを守れない、ルールを守れない悪い子にはお仕置きがある。
ここはそういう世界だから。
だから踏み止まる。
どんなに腹が立っても、侮辱されても罵られても、どんなに酷いことをされたとしても、殺したら負け。
だからやらない。
常識人が殺人をしない理由は、自分が損をするから。
そして、ルールを破ることへの恐怖。
今の生活が奪われてしまうことへの恐怖。
そこに、相手の家族を悲しませてしまうといった愛や思いやりの心は無い。
人を殺すも殺さないもその自分本位さで同じ。
どちらも何も変わらないのだ。
大事なのは、人を殺してはいけないというルールではなくて、自分は人を殺したいか殺したくないかという自分の意思だろう。
殺してはいけないというルールに従っているだけの人たちは、そのルールがなくなれば殺人をする人たち。
殺したくない人たちは、そんなルールなんてなくても元から殺人なんてしない。
そして、本当ならばそんなルールは必要ないのだ。
自分の心が平和なら、殺人なんて衝動も発想も心の中から消えて無くなる。
幸せだ、平和だと心から感じている人たちが殺人を犯すことは無いのだから。
そして、殺人を犯す彼女たちをクズだと嘲笑する、そういう発想を持つ人たちは幸せではない人たち。平和ではない人たちだ。
そのルールが無くなれば、殺人を犯す可能性がある人たちだ。
見下しの思考の中には平和は無い。幸せも無い。
同情も同じ。
世の中を平和にしたい、幸せに暮らしたいと本当に思うのならば、誰かの批判、世の中の批判ではなく、先ず自分の思考の見直しをするべきだろう。