映画「ソロモンの偽証」後編 | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

「心の声に蓋をすれば、見たいものしか見えなくなるし、信じたいものしか信じられなくなる」

最後に、校長先生が言った言葉。

これが全てのように思う。


当たり前が当たり前でなくなる恐さ。

なぜそれを恐れるのか。

虐める側も、虐められる側も、見てる側も声を上げられない。

どんなに苦痛でも、それが当たり前になってしまった状況ならば、それを甘んじて受け入れる。

だって、それが当たり前だから。


声を上げる。歯向かう。

いつもの自分と違う行動は、変化を起こす。

それはどんな変化を起こすかわからない。

恐い。

だから、自分からは変化は起こさない。

それはつまり、自分自身の人生に責任を持たないということ。

責任を放棄してるということ。

虐める側も、虐められる側も、見てる側も、全てに共通するのは「恐れ」。

変化を起こすことへの恐れ。

その変化への責任を取りたくない。

良くも悪くも、「変わる」ということは、いつもと違う状況に対応しなければならなくなるということ。

慣れないことは辛い。きつい。しんどい。面倒臭い。疲れる。

辛いのは、面倒臭いのは嫌だから…。

人生への責任逃れ。

変化を好まず、自分の人生に責任を持っていないから、上手くいかないことは、全て他人の所為になる。