シェアすること | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

シェア【share】

[名](スル)
  1.  分けること。分配。分担。「利益を投資額に応じて―する」
  1.  共同でもつこと。共有。「ルーム―」「情報を―する」


スピリチュアルをやっていると、よく耳にする「シェア」という言葉。

自分の感情、思考、思い、体験、気づきなど、あらゆることをシェアしましょう。

けれど、自分の中の傷、辛かった体験、主観的な感情などについては、そう簡単にシェアできない。

更に傷付けられる恐れがあるから。

そういう感情もある中で、何でもシェアしましょうと言う傾向に違和感を抱き始めてきた。

自分の気づきや体験なんかを、SNSで不特定多数の人達にシェアするのは本当に良いことなの?

自分の気づきは自分だけのもの。

自分の体験は自分だけのもの。

シェアしようが何しようが、分からない他人には分からない。

同じような体験、似たような思考をした人ならば、共感という意味でのシェアは出来るかも知れないけれど、それでもそれは自分と全く同じものではない。

その人自身の体験と照らし合わせた上での、きっとこれくらい辛かっただろう、~だっただろうという想像だけだ。

それによって、人の思いやりや優しさの感情に触れることもあれば、嫉妬や妬みの的になることもある。


被害者意識で固まっている訳ではないのであれば、無理にシェアする必要はない。

とても大切なことは、自分が伝えたい相手だけに伝える。

自分自身にだけ伝える。

自分が分かっていればそれで良い。

それで十分じゃないかと思うようになってきた。