あんじゅの”シンプルライフ” ~理想の現実をしっかり創りませんか?~

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現実を創っている要素を違った視点からお届けします。あなたを取り巻く世界のことが少しだけわかりやすくなるかもしれません。

Vol.684『過去生を思い出す旅?⑱』

 

朝早く、ホテルのロビーに集合。

ホテルから朝ご飯BOXを頂きました(^^)。

コーヒーも無料でおいてあったので、すかさず保温性の水筒に入れます。

旅行でね、つくづく外せないのは水筒です。


それと、大き目のペットボトルを買った後に、余った水を入れる、まあまあ丈夫なペットボトル。

それにあったらいいのは、折り畳み式のコップです。

これは歯磨き入れに使う。

コップはあることがありますが、中には1つしかないホテルもあるので、ジュースなどを飲んだりするので、洗面台に一つあると便利。

それと洗濯用の折り畳み式バケツかな。

折り畳み式の湯沸かし器も今回、使いましたが、疲れすぎてると、お湯を沸かす気分でなくて。

それに、どこでもコカの葉を入れるために、ロビーにお湯とコカの葉がおいてあったので、南米に限ってはいらなかったかな。

 

それから、洗濯物をくるんで、最初に水を吸わせる速乾性のタオル。

タオルは朝までには乾いているので、洗濯し、タオルでくるんで水を吸わせて、干す。

朝は乾きの甘いものはビニール製の袋に入れて、ドライヤーで最後の仕上げをすると、なんとかなります。

話がそれました。

さて、朝ご飯BOXを抱えて、空港に出発。

チェックインの際、画面の進め方がわからなかったり、色々ありましたが、無事、荷物もあ付けて身軽に(^^)。

残りの現地通貨を握りしめて、お土産屋に入ると、店員さんに「これしか残りないんだけど、何が買えますか?」と言ったら、ささっとおすすめのものを選んでくれて、買い物終了しました。

ばっちり(^^)。

荷物検査では、毎回、引っかかります。

最近、引っかかることはなかったのだけど、なぜか、南米では大抵引っかかりました。

時には本当に細かくみられて・・・。

なので、皆さんよりちょっと早めに検査に向かいました。

毎回、かんざしかな~。

鉄の細い棒はひっかかります(TT)。

頭にさしてるとスルーすることもありました。

少しだけ早めに検査を通過したので、搭乗時間まで40分ほどの間にラウンジに向かいます。

朝食BOXはいただいたけど、サンドイッチは良しとしても、日本のお弁当ほど充実しているわけではありません。

大抵はシリアルバーみたいなあたたかくないものが入っているので、可能ならちょっと違うものが食べたい。

幸い、5時30分という早い便があるからか、ラウンジが開いていて、あたたかなパンとコーヒーをいただけました(^^)。

さあ、ボリビア・ラパスからペルーのリマへ!!

また、再び、ペルーですよ(^^)。

こちらは1時間でリマにつくことができました。

ラパスは標高3600メートル。

リマは0メートルです。

よし、下がるぞ。

朝の6時30分にリマについて、さあ、今日はどうなるんだっけ? と確認すると、そうでした。

夜21時30分の便でメキシコに行くのです。

ということは、新しい1日がまるまるある。

もう、気分はホライズンです(笑)。

自分がお日様な気持ちです。

さて、お迎えのバスに乗り込むと、その後の行程は「市場見学」と書いてあります。

通常はうれしいんだけど、バスで寝ていたいな。

でも、なかなか来れないと思うと、頑張れるなら頑張ろう、という気持ちになる。

今日も朝6時30分の到着から夜22時のフライトまで頑張るぞ~!!

途中、6時間のホテルユースがあります。

ここが希望の光です(^^)。

市場のオープンが10時から。

バスで市場まではまあまあ時間がかかったので、9時30分くらいにバスを降りて、市場に入ります。

市場は女性が大好きな場所ですよね。

その土地の様子とかわかるし、お土産探しも楽しい。

なんですが~。

そんなに現地通貨がほとんどなかった(笑)から、買えない。

さらに雑貨市場ではなく、食材の市場だったので、鶏の丸ままつるし、とか、豪快な豚肉の塊とかをみて、驚いたりしていました。

日本みたいなお肉パック売りなんて、逆にこちらの人はびっくりしますよね。

現地のラーメンがあるというので、味試しに首謀者さんと半分こ。

味は鳥の出汁がきいたお汁と、たんぱくな感じの麺でおいしかったです。

スダチみたいな柑橘系を少し絞っていただきました。

食べたばかりですが、ランチまで時間があるので、お茶します。

コーヒーとおいしそうなプリンを見つけて、みんなでシェアしました。

これが一皿が大きくて、4人でわけ分けしてちょうどいいくらい。

かなり甘かったので、4分の1でも十分でした。

甘いものを食べたので、元気が復活?

現地では生魚が有名なので、それを食べにいきました。

ペルーの現地料理で有名なのがセビーチェ。

生のお魚をマリネにしたもので、少し酸っぱい。

でも、お魚嬉しいよね~。

私は好きなお味でした。

光物が苦手な人は大変だったかも(;’∀’)

生は好き嫌いもありますよね。

 

このお店、面白かったのが、自動ドアが閉まらなくなっていたこと。

ペルーは冬。

日本の11月後半みたいな感じかなあ。

ドアが開けっぱなしは寒いです。

でも、故障していて、閉まらないのです。

コロナ期のお店のドアが開いていたのを思い出しました。

日本だったら、開いている部分についたてを探してきたり、厚いビニールで仕切ったりと、何かしらすると思います。

でも、「ここでは、そのまま営業するんだな~」と寒さを少し我慢しながら、面白いなと思いました。

「閉まらないんだから、仕方ない」という感じですね。

「お客様が寒くないように」というおもてなしの心はなかったですねえ。

おおらかでいいところでもありますね。

 

生魚のマリネと鳥の唐揚げとチャーハンをいただき、胃袋が喜んでる!!

「もう少しで旅も終わるなあ」と寂しさを感じながら、最後のひと踏ん張り。

15時にホテルへ。デイユースって素晴らしい!(笑)

6時間でもありがたい!!

ありがとう!

 

なんでも感謝になりました。
 

続きは次回(^^)。

 

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あんじゅ 

または

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.683『過去生を思い出す旅?⑰』

 

さて、船が桟橋につきました。
 

1時間半ほど乗っていたので、私ほどでなくても、皆さん、自然に呼ばれています。

でも、私は一番切羽詰まっていたので、一番最初に船から降りたのですが・・・。

走れない(笑)。

息はあがるし、疲れもあるし、走りたくても走れない・・・。

何か精神統一しないと歩けない領域を体験しました(笑)。

なので、私を一番にしてあげようと優しくゆっくり歩いていた皆さんに「どうぞ、お先に…。走れないから」と伝えると、みなさん、小走りで走っていかれました((笑))。

思いは「ああ、おいていかないで」

でも、「どうぞ、お行きなさい」という思いもありました(笑)。


何か自分が分離していましたよ。ほんと。

いや、もう、無理だから。

何を我慢しているのかがわからなくなった頃、ようやくその場所にたどり着きました。

距離にして800メートルとか??

「もうだめ」と船の中で思ってから40~50分はかかったのでは?

ほら、「もうだめ」って所詮、うそなんです(笑)。―なんて。

人生で経験してきた最大級の我慢をここでしたような気がします(笑)。

まあ、なんとかなって、ラパスの街に向かって、バスに乗り込みました。

しかし、まあ、体、疲れてるよね。

その後、行きで、人が荷物認定されたバスで渡る船にも乗りましたが、行きは人認定ですが、帰りのその時は「荷物」になりました。

他の皆さんは人用の船に乗り換えなくてはならず、他にも荷物になりたがっていた人が数名いらっしゃったのですが・・・。

「荷物」認定は2名まで。

運転手さん入れて3名までかな・・・。

本当に申し訳ないのですが、そのままバスで寝させてもらいました。

たぶん、睡眠不足が限界にきていましたね。

拳銃を向けられたらバスから降りますが、、、という感じになっていました。

人様の好意に甘えて、湖をバスに乗りながら渡ります。

 

もちろん人が乗る船の方が景観は良いと思います。

でも、わし、クジラとかイルカでまあまあ船乗ってるしね。

もういいんです。

「荷物」になりきって、ここで少し熟睡できました。

そして、また、出発です。

ここから何時間乗ったかな・・・。

ラパスまで2.5時間。

こうした準備をすべてしてもらえていたからできた行程です。

ラパスについた頃にはすっかり夜。

ラパスの街のオレンジ色の街頭が星空みたいで奇麗でした。

ここはね、いい宿みたいよ(^^)。

なんて、うれしい声が聞こえてきます。

でもね、工事があって、交通規制で、バスがホテルまではいっていけない。

仕方ない。

少し離れた場所でバスを降りて、荷物を受け取り、ゴロゴロ歩きます。

ルマン耐久レースです(笑)。

その日は朝まで良く寝れなかった状態で、山を降りて、若返りのお水を飲んで、船で「月の島」に行って、怒りを感じてすっきりして(笑)、また、船にのって。

さらに、バスに乗った後に、荷物認定で船にのって。

そして、ランチでアルデンテを超えたパスタを食べて(高度が高い場所ではパスタはアルデンテにならないそう。なぜだ)、充電していた携帯をレストランに忘れかけて、また、バスにのって。

ようやく、荷物をガラガラ引きながら、ホテルに着いた時には、まあ、「良くぞ、つきました」という感じになっていましたよ。

1日がやっぱり長いです(笑)。

でも、誰も病気も怪我もしていないし、ほんと有難いですよね。

ホテルはいいホテルで、ベットもよくて、ここで丸一日寝たい(TT)。

でも、行程表では20時チェックイン、朝4時にチェックアウトだったかな?

もう考えないようにします。

シャワー浴びれるだけでもうれしい。

ありがたい、ありがたい(^^)。

頭がふわふわしている状態で、翌日に必要な書類を準備して、夕飯になりました。

ここで、珍しく問題勃発。

まあ、小さなことですけど。

宿につく前、バスの中で、夜ご飯の希望を聞かれました。

スムーズに夕食がスタートできるよう、ガイドさんの思いやりです。

ただ、皆さん、疲れもあるし、頭が回らなかったのもあると思います。

選択肢はABC。

みなさんからAはどんなん? Bはどんなん?と質問がでて、ガイドさんがホテルに電話をして丁寧に聞いてくださいました。

「Aはこうらしい」「Bはこうらしい」「Cには○と△がある」と答えてもらうと、じゃあ、やっぱりAからB、BからC△とリクエストが変わります。

その時、「ああ、これ、絶対相手はきちんとチェックしないわ。たぶん、全体の数しかみないな~」と思いました。

これね、一概に海外ひとくくりにしたらダメかもしれないけど、海外の方は、大体、「リクエストに忠実に」という意識が日本人ほどありません。

「AがBになり、やっぱりAになったり、いやいや、Cになりました」

というとね、なんだろう? どっかで理解をするのを止める感じがします(笑)。

すごい偏見かもしれませんが、海外の方は良い意味でもおおらかなので、「ふうん、なんとなく了解!」みたいな感じで、理解するのを止める瞬間があるのを何度もみてきました。

そういうのを含めて、海外なんです(^^)(笑)。

さてさて、そんな経緯があってのご飯。

やっぱりね、リクエストにあってませんでしたよ。

誰のせいでもありません。

しいて言えば、きちんと聞いてくださるガイドさんが私たちに尽くしすぎです(笑)。

 

ああいう場合、私ならもう詳しく聞かないです。

「1度伝えたら、もう、変更はきかない」くらいのアバウトさですから、まあ、適当さ、と言ってもいいかな。

日本人的なこだわりは厳禁なのだと、東欧での生活で身に染みています。

「言った、言わない」が一番外人さん、フリーズする感じがします。

そういう経験を昔、ポーランドやハンガリーでたくさんしたなあと思い出して、私はちょっと懐かしさに浸っていたのでした。

そして、問題と言えばそれくらいだとしたら、この行程でそれしかない(私が知らないだけかもしれないけど)って、すごいなあという感想でラパスの夜は過ぎていきました。

その夜は、私はおいしいラザニアをいただきました。


パスタのアルデンテはできないのに、オーブンで焼くラザニアはおいしかった。

やはりパスタの謎は深まります。

沸点の問題ですね。

シャワーを浴びれて、少しでもベッドに横になれたら幸い(^^)。

もっと長居したい気持ちに気づかなかったことにして、何時だったかな?

4時出発?

宿についてから6時間後、5時30分のフライトに間に合うようバスで出発しました(^^)。


もう、自分がどこにいるのか、あんまりわかりません(笑)。

さあ、そろそろ帰るよ。


みんな、無事で元気なのはすごいですが、みんな、乾燥でのどはやられています。

デフォルトでした(笑)。

 

続きは次回(^^)。

 

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あんじゅ 

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Vol.682『過去生を思い出す旅?⑯』

 

素晴らしいツアーの8日目がスタート。

若返りの水で数年分若返った私たちは船に乗ります。

 

これから「月の島」に行くのです。

「太陽の島」のホテルに滞在した後、昔、皇帝の妻になる乙女たちが修行したという「月の島」に向かいます。

船にのって30分くらいかな?

今朝、やっと山の上から降りてきたのに、また、登っていくのは辛いぞ、と思ったら、最初少しの登りだけで済みました。

それから、もう、現地のトイレにも大分驚かなくなり、どんなに汚くても、「OH!」という外人みたいな反応をしなくなりました。

でも、総じてきれいな方だったような気がします。

モロッコの町中のトイレを体験してから、大抵のことは想定内になりました。

経験って大事ですね(笑)。

もちろん、次のトイレがいつになるかわからないので、「トイレをみたらとりあえず入れ」です。

準備万端になって、月の島の乙女たちの修行の場へ。

皇帝の妻になるというのですから、その島で修業をするために選ばれた娘たちはさぞかし誇らしかったのではないかと思います。


でも、もう少し話を聞いてしまったら、この話はちょっとそんな話ではないと感じました。

選ばれた女の子たちは「月の島」で料理や様々なことを島で学び、そのうちの一人が妻に選ばれます。

 

そして、もう一人、選ばれる子がいました。

そのものは生贄になったということでした。

「当時は生贄になるのは栄誉なことだった」という話でしたが、本当に本当にそう思えたのでしょうか?

本当に世界中に生贄や人柱の歴史はのこっていますよね。

なぜ、人はそんな選択を必要としたのでしょう・・・。

一人は妻に選ばれ、もう一方、生贄に選ばれた娘は離れた場所に連れていかれて、頭をかち割られたそうです。

もうぎょっとしました。

そんな歴史を聞いてしまったからか、島に残るエネルギーにあてられているのか、なんとなく不穏な感じ(笑)。

そんな気分に反して、天気はものすごくよかったです。

彼女たちが住んでいたという建物は、屋根は崩れていたものの、部屋の形は残していました。

かなり狭い。

人が一人横になったらいっぱいになるくらいの幅・・・。

子供ですから、寝る場所としては十分だったのかもしれません。

屋根は崩れてしまってないのですが、壁の高さから推測すると高さはまあまあありそう。

隣の部屋と続いていて、修行中は修行仲間と交流もあったでしょう。

妻に選ばれなかったら、家に帰れるのならいいのですが、その中の誰かは生贄に・・・。

もし、生贄になるのは2位だったとしたら? 

もう普通がいいですね・・・。

乙女たちは誰かが生贄になるという事実を知らなかったかもしれませんし、知っていたかもしれません。

でも・・・

誰かの命と引き換えにもたらされる何かがあるとしたら、それは本当に必要なものであったということはありません。

宇宙はそんな犠牲を強いていませんから。

あくまでも人が創り出した犠牲です。

瞬間的な事故でそのようなことが起こったり、自身の寿命が短く、臓器を提供するなどの特別な事情があるのならわかりますが、儀式的なものが必要になるということは真実ではありません。

でも、当時の地上にはそんな「犠牲」が求められていましたね・・・。

遺跡はそれほど大きくなかったので、すぐに一周できてしまいました。

その間、ずんずんと内側から怒りと恐れのようなものが湧いてきて、後は、親の思う気持ち、親が子を思う悲しみみたいなものも感じました。

自分がそういう体験をしたという感じではなく、ひたすら「嘘の宗教」「嘘の埋め合わせの犠牲」に対する怒りのようなものを感じていたので、私自身にも何か引っ張る出される経験がどこかであったのでしょうね。

だんだんムカムカが強くなってきたので、「よっしゃ、でてきましたね」ということで、「この体験は終わりました」とクリアにしていると、「もうこうした怒りは終わり」という感覚がきました(その場の浄化もしました)。

人を犠牲にしてきた歴史に憤りを感じる感覚が意識の奥の奥にあったので、それを「月の島」で再認識して、手放せた感じです。

よく、こういう話をすると「大変だねえ」と言われることがありますが、私はそんなことはないかな、と思っています。

対処できなかったら、大変だけど、対処できるからね。

まあ、そういうことに一生涯手を出さないでいくというなら、むしろ、1つも手を出さないで、敏感にならずに生きていくというのも一つの選択です。

でも、自分の意識の中にあるものに影響を受けているのは誰でもあること。

もし、自由に人生を創造していきたいなら、この「自分が知らないまま抱えている感覚、感情、概念」のある程度の整理整頓は必ず必要です。

整理したら、その分、必ず軽くなるからね。

人生、どんどん自由になっていきます。

それらにも増し増しの強い意図を持てるなら、この整理整頓は必要がないケースもあるかもしれませんが、大体、本当の自分自身の強い意図を持つためには、意識の中にある恐れや不安や悲しみのお掃除は絶対に必要なのです。

3次元の恐れと不安は実は幻ではあるけれど、頭はそれを真実だと思っているので、その整理をしない限り、本当の自分自身の意図を持つことが難しいのです。

そのために必要なのが、違和感や不快感が出てきた時の速やかな対処です。

私はここで、本当に過去の体験とお別れができた感じがしました。

そんなこんなで、印象深い、悲しい歴史のある「月の島」を後にします。

さて、安堵のあまり、私はここで、失敗をしてしまいます。

そこから船で1時間30分。

ラパス行のバスに乗るために湖を渡り切るのですが、「トイレ、さっきいったし、もう平気かな~」なんて、めんどくさがって、トイレの前を素通りしてしまいました。

船に乗ってすぐ眠気が来たので、このまま調子よく目覚めたら、もう岸についていて・・・
なんて、能天気に考えていました。

しかししかし。

40分ほどして目が覚めると、自然が私を呼んでいました。

しまった。

暑かったので、お水たくさん飲んだし、高山病の薬飲んでたんだった。

後何分?

30分ほどです。

30分・・・。

なんとかなる、大丈夫、本気で湖に飛び込もうか? 冷たいかな? なんて考えが頭の中を行ったり来たり。


「そういえば、あの時は何時間耐えられた・・・」とか過去の成功例をいくつか持ちだして、自分自身を鼓舞します。


やっと岸が見えてきました。

近づいてくる!

湖に飛び込まなくても済む!

喜んで降りようとすると、「いや、この桟橋はやめるわ。別の桟橋にする」と船の運転手さん。

ちょっと隣の船との距離感が狭かったみたい。

なんと、船を後退させます。

私は茫然とその景色を見ています。


こういう時って、何か人生を引いてみる自分がいます。


幽体離脱してたのかな?
 

「はやく、はやく」

もう、頭の中は歓声が聞こえてきそうなほど、自分への励ましがすごかったです。

私、間に合うのかな・・・?

不安が頭をよぎりました(笑)。

 

続きは次回(^^)。

 

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Vol.681『過去生を思い出す旅?⑮』

 

特に高山病という感じもなかったので、油断して、薬を飲まなかった結果。

私は夜中に息苦しさで飛び起きました。

起きると息ができるのですが、横になると息が苦しいのです。

「あ、空気がうすいんだな~」と思いました。

部屋のトイレは自分のベッドから3メートルほどしか離れていませんが、そこに行くのも息があがる。

「これはもしかしてまずいんじゃ・・・」

慌てて、残っていた最後の薬を飲みました。

薬を飲んで、しばらくしても胸が少しドキドキしてしまい、軽い高山病だったかなと思います。

ただ、私は薬を持っていきましたが、持ってこない方が大半だったので、いらない人もいたし、何とも言えません。

不安な人はお守り代わりに持ってきた方がよいかな、という感じです。

明日は4100メートルから降りていくので、もう大丈夫なはず。


ぎりぎり足りてよかった~(TT)。

とにかく、私はその夜は横になるとドキドキしてしまうので、毛布で体をくるみ、壁に背中をくっつけて、胡坐をかいて、うとうとしました。

すると呼吸が楽にできるのです。

そうして、何度か置きながら、朝を迎えました。

その夜も月がとてもきれいな夜で、本当に魔力があるような強さを感じる月夜でした。

夜中にびっくりしたのがシャワールームや洗面台の部屋の屋根です。

部屋には普通に屋根があります。

でも、シャワールームの部屋の屋根は透けているトタン屋根。

透けているので、月夜は部屋が明るいのです。

おお~。明るい。

月明かりの中でのトイレって、ロマンチック??

電気、いりません。


これも智慧ですか?

感心と感動もしました。

そして、面白いのが、月がまっすぐ上にある時は、月光が一本のまっすぐな光となって、長い蛍光灯のような光に見えたこと。

それが月が傾き始めると、その一本の光がカーブして、大きな半円をトタン屋根に写すのです。

それは不思議な光景でした。

時計、いらない。

大体、何時かわかるよ。

もしかして、本当にお月様がこんな光を放っているのかもしれないと、馬鹿な私は外にでてみましたが、実際はそんなことはない。

時間は夜中の3時頃だったので、少し傾きかけた月が煌々と光を放っていました。

とても面白い経験でした。

起きてしまってよかったと思いながら、少し胡坐になって、呼吸を整えた後、横になって寝ました。

ちょうど、薬も効いてきたのかも。


同室だった首謀者さんも寝ながら咳き込み、私の友人も咳をしている。

みんな、空気が乾燥しているので、調整が難しかったかなと思います。

あめちゃん、必須です。

さあ、時はすぎ、素晴らしい朝日がまた昇りました。

日はまた昇る、です。

本当に、「はは~」となるくらい、明るく大きな太陽です。

太陽信仰の気持ち、ちょっとわかるかも?(そういうのでわかるな(笑))

熟睡はしていませんので、体調は60点くらいですが、いよいよツアー後半?にさしかかります。

無事です。生きてます。すばらしい。

メキシコの太陽の神殿、月の神殿、クスコの協会、いくつかの遺跡、マチュピチュ。

メインはばっちり終え、ここから徐々に帰途につきます。

そんな朝、朝食を食べていると「ここからまともに寝れないよ」という誰かの声が。

ん~と。

ここ何回か同じような言葉を聞いていますが、ま、元気だしね。

走れないけど、病気ではないしね。

気にしない、気にしない。

なんとかなる、うん、なんとかなる。

 

でも、行程表をちょっと見てみる。

気にしてる。

気になってます(笑)。

 

みてるんだけど、ちっとも頭にはいってこない。

ん・・・

この「ホテル15時にチェックイン。21時に空港へ」って何だろう・・・?

ま、いっか。

その時に理解しよう。うん。

まずは今日は、太陽の島のホテルから歩いて降りるんです。

降りるなら大丈夫!!まかせといて!

空元気かもしれないけど、前途洋々な気持ちでした。

結果、大丈夫だったけど、寝不足で、そういう意味で、普通にちょびっとしんどかった。

 

でも、歩いた。

幸せなことに、荷物はロバが運んでくれます。

ありがたかったです。

スーツケースガラガラしながら、リュックも背負いながら歩くなんて無理です。

でもね、行きもロバが島の下からホテルまで荷物を背負って上がってくれたようなのですが、ツアーの皆さん、思ったよりも大荷物で。

人数は13人。ホテルのロバは2頭。

その人達の2週間分の荷物を2頭で運ぶので、予定していた時間よりもだいぶかかってしまったようなのです。

そしたらね、その後、ロバが脱走してしまった事件があり。

「もう、こんな重いものを運ぶロバ生なんていやだ!!」となったのかなとみんなで話していました。

ロバだって、何度も往復するのやだったと思う・・・。

だから、降りる時は少し申し訳なかったのだけれど。

ありがたかったです。

そうして、40分くらい、ひたすら下り、港近くの「若返りの泉」にきました。

みんな順番に「若返りの水」を汲んで。

みなさんの「若返り」に対する意識がすごかった(笑)。

『飲んだら、「え、誰?」というくらい、若くなったらどうしよう??』

なんて発言もありました。

でも、残念ながら、わからなくなった人は誰もいませんでした。

そんなマジックみてみたかった・・・。

そのお水に本当にそんな効力があるのかわかりませんが、「周波数を覚えればいいんじゃ?」とひらめき(笑)、私は一本分飲んで終わり。

何日分、若返ったかな~?

私たちははしゃいでいました。

でも、忘れていました。

私たちはただ、ホテルから港まで降りてきただけでした。

そこからまた、過酷な、いえ、素晴らしいツアーの8日目をスタートさせたのでした。

たぶん体的には11日目くらいかな~(笑)。

 

続きは次回(^^)。

 

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Vol.680『過去生を思い出す旅?⑭』

 

「太陽の島」で訪れたレストランはチチカカ湖が一望できる場所にありました。

200度くらいのパノラマです。

本当にきもちいい~~!!ので、冷えた白ワインとかを頼みたいところですが、頭が痛くなたり、気分が優れなくなったりしては困るので、ぐっと我慢。

そして、この島の”お祭りの日に食べる”というお食事を用意していただきました。

こういうところ、本当に細やかな心配りを感じるツアーでした。

おじさまが何か大きめの布に包んだものを運んできました。

赤を基調にした模様が組まれているとても厚手の布です。

それをテーブルに置いて、「まだ、ひらいちゃだめだよ」とにっこりします。

準備が整い、厚手のその布が開かれると、中にはとうもろこし、じゃがいも数種、枝豆、がたくさん入っていました。

ハワイなら、タロイモで食べ物を蒸し焼きしたみたいな感じですかね。

一目見て、とてもエネルギーの高い食物であることがわかります。

それに、別皿にチキンや油で焼くお好み焼きっぽい食べ物(とガイドさんが言ってました)。

少し辛いたれをつけていただきます。

ボリビアではジャガイモが3000種類もあるそうで、私が道すがら「あれは・・・何かの幼虫?」とひそかに思っていたいも虫っぽい形のジャガイモは中が黄色くてほくほくで、あたりのサツマイモみたいでした。

あま~い(^^)。

後は保存食として、水分を抜かれたまっ黒黒すけみたいなジャガイモもありました。食べれたけど、サツマイモっぽい方がおいしい。

お腹いっぱいたべて、「あ、高地では腹八分目だった」と後悔。

ちょっと胸焼けする感じがします。

どうしても消化に負担がかかるみたいですね。

 

みなさん、私はできませんでしたが、腹八分目、気を付けてください。

その後、希望者は島のお家訪問!でしたが、熟睡できていない私はお部屋に戻りました。

その後、わかるのですが、やっぱり高山病の薬、飲んでいた方がよかったみたいです。

なぜなら、熟睡できないのは、横になると気道が狭くなり、酸素が薄いので苦しくなってしまう、ということだったらしいです。

すごく苦しくないけど、横になると眠いのに寝れない…ってことが起こりました。

起きている分にはなんともないので、夕方まで部屋ですごし、やっぱり熟睡できないまま、夕方のイベントまで過ごしました。

本当に高地での行動は気を付けた方がいいようで、元気いっぱいだった若手男性が太陽の島で荷物運びを手伝っていたのですが、翌日、ダウンしていました。

それだけが原因ではないかもしれません。

ただ、標高の高い場所で息が上がるような動きを少しでも無理して続けると、後できてしまうようです。

思った以上に酸素の濃さは影響がありました。

慣れた人はスポーツもできるようですが、私たちはいつも0メートルの場所にいるので、体がなれていませんよね。


さて、夕方、まあ寒いので「どうしようかな~」と思ったシャーマンの御祈祷。

その島にいるシャーマンに来ていただいたそうで、ありがたいのですが、「寒いの我慢するのも・・・?」と思っていたら、「行きなさい」とメッセージが。

「あ、すいやせ~ん」と素直に謝り、お部屋にあった分厚い毛布をもって、儀式の場所に行きました。

儀式の場所にはニット帽をかぶり、かわいらしいニットのポシェットを首にかけている小柄なおじさま。

何をしてくださるのかな・・・?

「これから、みなさまの健康、愛、お金、ビジネス、人間関係など、様々なものがうまくいくようにご祈祷いただきます」とガイドさん。

そして、神様は甘いものが好きだというので、砂糖で作ったお金や愛の象徴(小さなゴムボールくらいの大きさ)を一人一人、ささげものとして渡されました。


私は「才能」の象徴をいただきました。

でも、その場で一緒に儀式をする人たち全体でお祈りをするので、「特にあなたがそれ」ということではないという説明でした。(みんな全部ほしいもんね。でも、才能もよかったです)。

木の枝を組んだもののうえに、ガソリンが注がれます。

そして、着火。

「今日の火はすごく燃えている。神様が喜んでいる」という説明をいただきましたが、まあまあ、その後も何度か執拗にガソリンが注がれていました(笑)。

素直に受け止めよう。

神様が喜んでくれているんですから。

そして、ここでコカの葉登場。

コカの葉を火にくべるのですが、これがなかなか難しい。

火は踊るように動いているし、葉っぱを火に投げ入れろといわれても、なかなか思うように落ちてくれない。

難易度の高い儀式でした(笑)。

その後、砂糖でできた象徴を火に入れます。

こちらは簡単。

そして、黙想。

シャーマンが何か唱えています。

少しだけ面白がっているモードだった私もさすがに少し心の内を静かにさせました。

何かメッセージくるかな~と期待しながら。

目を閉じて、その場を感じます。


すると、少しして、「今回は過去の記憶があるものが集まっています」とメッセージがきました。

過去の記憶―つまり、何かしら意味があってきているということですね。

また、「記憶をもつものがそれを具現化しに来ている」という意味も入ってきました。

そういうこと~。

さらに、「みな、内側にあるものを経験している。そして、あなたはその経験は今後はもういらない」というメッセージもきました。

え。

つまり―?


そうか。

人の経験って、すべて自分の持っているエネルギーに影響を受けていますよね。

特定の場所に行きたいのも、あんなことをしたいのも、何かしら過去の生に影響を受けていることが多いものです。

今回の生で「まったく新しい体験」ということもありますが、「なぜ、それをしたいのか」というと、大抵、由来があるのです。

そして、「そういう過去に影響を受けない現実を今から創りなさい」というメッセージだったかな、と思いました。

すごく明確にはっきりとそうはいってきました。

「現実創造を好きなようにしろ」ということ、または、「好きにできる」という意味かな?

そこから、自分のエネルギーがガラッと変わったのを感じました。

素晴らしい経験でした。

ここ、私にとってのこのツアーのハイライトかしらん?と思いました。

その晩も素晴らしい月夜で、幸せな気持ちで夜を迎えました(^^)。

そして、私は高山病の薬を飲まない選択をしたつけを、その晩、払うのですー。

 

続きは次回(^^)。

 

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あんじゅ 

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Vol.679『過去生を思い出す旅?⑬』

 

ボリビア・チチカカ湖の朝は一人5時半から始まります。

同室の首謀者さん、友達より早く寝たので、早く目が覚めてしまいました。

そして、カーテンの隙間から漏れてくるうっすらオレンジ色の光に気づいて、慌てて外に飛び出します。

標高4100メートル。

眼下に広がるチチカカ湖。

 

遠くに見える南アンデス山脈。

そして、その南アンデス山脈からゆっくり太陽が昇ってきます。

起こしてもいい?

 

Tシャツと薄い上着だけだと肌寒いので、部屋に戻り、はおるものをごそごそ探していると、友達が動き出きだしたので、「太陽、くるよ」とささやくと、反応しています。

すぐに外にでて、山間から登り始める太陽をじっと見つめていました。

大きなオレンジ色の光が顔をだし、水面に光の道ができます。

 

美しい・・・(TT)。

背後をみると、階段があったので、登ってみる。

4100メートル付近にいるのですから、2~3メートル登ったところで、特にそんなに変わりはありませんが、人って高いところに登るの好きよねえ。

いや、ちょっとハアハアいったので、そこでやめときました。

朝日をみて、少し休んで朝食へ。

少し危機感を感じて、まっさきに「コカの葉」を探す。

う~ん。

これ、中毒ですか?(💦)

実はこのツアーが始まって、標高0メートルから3000メートルに上がる前日から、高山病の薬をずっと飲んでいました。

結果、どこに行っても頭は痛くなく、気持ちも悪くなく、息はあがりますが、いわゆる高山病の症状はでませんでした。

ただ、何かのタイミングにね、指先がチリチリする感じとかががありました。

山に登っている時は、頬のあたりもチリチリときます。

ほんとうに息が苦しいと、顔全体がぼわ~んとした症状がでました。

お水を飲んで、少し休むとなくなるので、「これ、高山病?」と周りの人に聞くと、「高山病の薬を飲んでいる人に出る症状」という回答をもらいました。

詳しくはわからないのですが、いわゆる「高山病」の薬というのはないそうで、空気が薄くなった時に、空気を運んでくれるのを促す薬なのかな?

だから、飲んでいると、血管が広がるような感じがありました。

ということは、高山病じゃない。

そして、頭も痛くないし、気持ち悪くもないので、「薬無理して飲まないほうがいいかも?」と言われ、そうしてみました。

だから、初めての薬なし(笑)。

コカの葉、必要です。

幸い、どこのホテルでもコカの葉は置いてあって、お湯を入れればいいだけ。

口に含むのでもOKだけど、まあまあ渋いので、おいしいわけじゃない。

お湯にコカの葉を入れて準備。


そして、コーヒーがまたすごい。

凝縮されたコーヒーで一杯のカップに少しいれて、お湯を注ぐというスタイルでした。

真っ黒な液体で、試しにそのままなめてみたけど、飲めるもんじゃない。

お湯を注ぐと、コーヒーになりました。

ちょっと風味とかはなくなる感じです。

でもね、これ、気付け薬みたいな感じで、何か頭がすっきりします。

「あ、これいいかも」と思って、部屋で飲むために水筒にもいただきました。

そんなやばい興奮剤?みたいなものを接種して、一生懸命4100メートルになれようとします。

平坦なところを歩くのは全く問題ありません。

階段があかんだけです。

そして、ちょっと疲れてるかな~(高さのせいじゃないかも(笑))。

午前中はガイドさんが別のコースを紹介してくださるといいますが、のんびりしたいので、お部屋にいることに。

元気な人もいましたが、まあまあな人数がお部屋で過ごしていたと思います。

後、洗濯もね。

その場に行ってみないと、暑いんだか、寒いんだかわからないので、「これはもう必要ない」と洗濯しないでおこうと思ったものが再登場する羽目になり、洋服の選別がもう少し必要でした。

次回からは、薄手の重ね着を徹底しよう。

枚数持ってくと、大変だし、厚手のものは乾かなくて、あかんちゃんでした。

乾きの甘いものは、最後は大き目のビニール製のスーパー袋に入れて、ドライヤーで簡易乾燥機でがんばりました。

さて、熟睡できるかと思いきや、空気が薄いせいか、興奮しているのか、結局、ベッドでゴロゴロしただけ。

熟睡したいよ~。

お昼はホテルの近くにある村に行くというのでわくわく。

歩き始めましたが、緩やかな坂道。

天気は最高。

空気は薄いけど、気持ちよいです。

やっぱりすぐに息が上がってしまうので、のんびり後から行くことにしました。

首謀者さんもお疲れだったので、手に手をつないでのんびり、ゆっくり。

でも、優しい若手の男性陣がサポートにきたら、あっさりお役御免。

あれは手から何かエネルギー吸っていたんじゃないかと思います(笑)。

私からだと、奪ったり、奪われたり?(笑)

役得でした?(笑)

いえいえ。

みんなで一緒にあるきました。

左手にはずっとチチカカ湖が広がっていて、その湖の青さを広さを感じながらの散歩です。

美しかった~。

村に入りました。

時間は12時を過ぎていましたが、なぜか人がいない。

なぜ??

畑にでもいっているのかな?

畑の周りには動物たちのにおいがして、家の入り口も開いている感じでしたが、人の気配はしなかったです。

 

お仕事かな。

お店がありました。

お土産屋さんではなく、日用雑貨店でした。

 

中にも人がおらず、入り口は半分閉められていて、入れないようになっていました。

もちろん覗きます。

「何があるかな?」

少しの果物、野菜とか。

後、洗剤・・・?

それから、大量の「インカコーラ」

メキシコでガイドさんから、「南米ではこれです」と配ってくださった、黄色い炭酸飲料。

それの2リットル版かな? でかいやつです。

お味はリポビタンDとかそんな感じ。

こんなに大量に皆さん飲むって、もしかして、コカが入っているのかな?

なんて思いながら、お昼のレストランを目指します。

みんなよりちょっと遅れてついたお店は、自分たちのホテルとは反対側の景色が見られる素晴らしいロケーションでした(^^)。

チチカカ湖、うつくし~い!

でも、正直、もう、みんな一緒!!(ごめんなさい)

青いチチカカ湖!! 遠くに山々!


山の上には雪が見えます。

もうあんまり違いはわからないけど、本当にありがとう、太陽の島!!(笑)

そして、大して動いてないのに、また、食事をいただきます(^^)。

 

続きは次回(^^)。

 

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Vol.678『過去生を思い出す旅?⑫』

 

38時間ぶりのベットにご対面した私たち!!!

しかし、先に夕食をいただきます。

レストランとフロントが山の斜面の一番上にあるスタイルで、部屋はコテージ式。

今回は旅の首謀者さんと私の友人の3人でした。

レストランもお部屋もチチカカ湖が見下ろせるロケーションにあり、月がでてると、窓から見える~。

怖いくらいオレンジの月が湖と山の接触点から登ってきたと思うと、湖の湖面が鏡のようになって、太い月の光の道ができました。

美しかったです。

月の光に感激しながら、コカの葉を見つけて、一生懸命、コカ茶にします。

4100メートル、なめんな、です。

ご飯もおいしかったんだけど、もう、どこで何を食べたのやら。

 

どこでもベジタリアンの食事はあるのですが、ここのはベジタリアンの食事もおいしそうで、なかなか魅力でした(食べてないからわからない)。

そういうの、日本より進んでる感じがしました。

そうそう。

高度にいると、あんまりお腹いっぱいになってはいけないそうです。

なかなか消化しないから。

たしかにお腹がいつもより消化に時間がかかり、膨らんでいる気がする。

腹八分目、を心得たけど、疲れもあるし、ちょい食べちゃったかな。

月をめでてから夕食をたべて、翌日はまた軽くトレッキングがあるというのを聞いて、私は休むことを選択しました。

「休もう」

心が強く言いました(笑)。

もちろん元気な人がいて、早朝に朝日を見に行った人もいれば、翌日の午前は島の反対側が望める場所まで足を延ばした方もいました。

 

でも、もうね~。

無理はしないのよ。

荷物の整理も必要だし。

最後が夏のメキシコなので、冬支度なのか、夏なのかでいろいろ頭を悩ませましたが、少し荷物も減ってきた頃。

周りはお土産を要所要所で買っているので、「帰りの荷物、入る?」という悩みも出てきた頃。

ただ、私はお土産を買わない主義なので(帰ってきてから、配るのも大変)、荷物は減っていきました。

でも、スーツケース、小さいのでいっちゃったのよね。

重いのゴロゴロするのいやだから。

だから、パンパン。

お土産は、マチュピチュで買った十字架のペンダントヘッド、リマの空港でチョコレートいくつか、クスコでアルパカのショールと帽子を買いました。

アルパカのショールの話はまた別途。

ということで、ベッドに入れたのは、マチュピチュの宿から42時間後。

3人部屋だったので、体力が限界にきていた私はシャワーはお二人に譲り、ベッドに入りました。

朝、起きたら、昨日の夜、2人目は途中からお湯が水になってしまったというハプニングがあり、3番目、頑張って待ってなくてよかった~と思いました。

部屋の後ろにタンクがあったので、タンクが空になると温めるのに時間がかかるやつね。

朝はお湯が出ました(^^)。

タンクは隣の部屋とも共同な感じだったので、また水になっちゃうのが怖いから、少しぬるま湯で頑張ったけど。

その後で、首謀者さんがふんだんなお湯を使って洗濯をしているのを見て、「お湯は節約して~」と懇願しました(笑)。

豪快な性格なのは、水の使い方をみてもわかりました(笑)。

シャワーとベッドは旅の大切な項目だと身に沁みました。

そうそう。

寝る時にびっくりしたんだけど、ホテルには暖房がなかったんです。

どういうこと? と思いますよね。

4100メートルにあるので、日中、たっぷりの日差しの温かさが部屋のレンガに蓄積されるそうです。

そして、そのレンガは夜になると、熱を放射する。

チチカカ湖にあるその宿は4100メートルの場所にあるのに、部屋の温度はいつも15度前後なんだとか。

だから、部屋には暖房がない。

といっても、寒いのです。

動いてれば寒くないけど、座っていたら、セーターは必要。

しかも、室内。

セーター着たくない。

寝る時に厚着できない人なんです、私。

体は疲れてるのに、頭は興奮してるわ、空気は薄いわ、肌寒いわ・・・。

「夜、寝れるかなあ?」と不安になっていたら、宿が湯たんぽを準備してくださり、久々に湯たんぽの温かさに包まれて就寝できました。

湯たんぽは世界共通?

夜中に起きても、部屋の中は肌寒いけど、たしかに、凍るとかそんな感じではない。

富士山より高いのに。

そして、もっとびっくりなのが、トイレとシャワーの屋根は透明なトタン屋根なんです。

防寒が必要のない島なのかしら?

部屋は屋根がしっかりありますが、トイレとシャワー室の屋根は薄い板1枚。

太陽の光りが入ります。

そして、夜、月明かりがあると、トイレの時も電気をつけなくていいのです。

あかる~い!!

後、もう一つ。

部屋の壁には一つ、しっかり穴が開いていて、そこは畳一畳より少し狭い感じの空間になっていました。

 

なんのためなのかな・・・?

温度調節だと思いますが、面白かった。

確認のため、夜中に外にでたら、外はしっかり寒かった。

ということは、本当にレンガの温かさで部屋のなかはなんとか過ごせる温度になっているんですね。


生活の知恵です。

日本もそんな自然の知恵があったらいいよね。

高床式とかそうかな?

今はエアコン地獄にプラスして、本当におかしな暑さになっていますね・・・。

ボリビアの朝もまた太陽の道がくっきりできるほどの素晴らしい朝日で始まりました。

 

続きは次回(^^)。

 

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Vol.677『過去生を思い出す旅?⑪』

 

21日の朝。

私的には20日の朝4時からえんえんと続く、翌日の早朝です。

それは標高4100メートルのラパス空港から始まりました。

朝4時30分にラパス着だったので、ガイドさんと合流したのは5時近く。

ありがたいことに、空港のカフェが5時から開いていて、5時30分から朝食をいただくことができました(^^)。

その前に、ボリビアはドルが基本使えないので、現地通貨にいくらか変えます。

金額ではなく、回数毎に手数料が一律で取られるので、友人と一緒に申し込み。

もらった金額を半分にするだけなのに、それすらできないくらい、思考停止状態・・・(笑)。

本当に計算できなくて、ちょっと自分でもびっくりするくらい。

「大丈夫かな? 寝不足かな?」と思ったら、ガイドさんが「標高が高いと思考が回りにくいんですよ」と言ってくれて、ちょっと安堵。

標高4100メートルですが、
空港にいる分には全く苦しくないのが不思議。

なので、「これからトレッキングですよ」と言われたショックはなかったことにしながら、ひたすら目の前にあるやること―トレッキングの準備とロバに運んでもらう荷物の仕分けを始めました。

朝ご飯は普通にサンドイッチとかトーストと卵とコーヒーとかで、ほっとする(^^)。

元気になって、少しやばい感じのハイになって、バスに乗り込みます。

もう4100メートルの早朝って、寒いんだか暑いんだかわからない。

じっとしてれば寒いし、ちょっと動けば汗かくし。

まずはバスでラパス→チチカカ湖へ。

途中で湖で漁をしているお家(お土産屋も兼業)でおトイレ休憩。

葦で作った船に乗せてもらって、「すごいや~」となりました。

チチカカ湖のペルー側には葦でつくった島もあるそうで、葦で組んだら船も台地も作れるのね・・・とびっくり。

途中、高台から見下ろせる絶景をみて、その後、少しだけ市内観光。

スペイン人の支配下で、今はほぼキリスト教徒になっているという経緯を聞きながらの協会巡りは少し複雑でした。

チチカカ湖を見下ろせるお店でおいしいランチもいただきました。

窓からチチカカ湖に浮いているボートがたくさんみえて、「ここは地中海?」という気持ちになるレストランでした。

ここだけでなく、食事は常に3種類くらいのメインから選べるのはありがたかったです。

選択肢あるのって有難すぎる(TT)。

お肉はチキンか牛が多かったかな。ポーク、あったかな?

毎回しっかりデザートもついて、お腹いっぱい。

日本の量だとこちらの人は足りないだろうなあ。

高地にいるので、いつもなら頼むワインはやめておきます。

それでなくても、ふらふらだからね。

その後、バスごと乗れる船と人だけの船にわかれて、どこかにわたり(もう、いわれるがまま)、そこから今度は本格的にチチカカ湖に浮かぶ「太陽の島」に船で向かいました。

バスごと乗れるという船は本来はバスの中には運転手さんしか乗せてはいけないようでした。

でも、疲れが出ていた主催者さんがそのまま「荷物」として、運ばれて行きました。

人が荷物認定されたのを始めてみました。

そして、帰りは私も荷物認定されました。(いや、もう、起きていられない感じでした。空気プリーズ!になっていました)


「人じゃなくていい」と初めて思いました(笑)。

 

朝4時30分について、この時点で現地の午後14時前後くらい(だいたいです。時計みてない)

船はスピードが早くて、景色が飛ぶようで面白かったですが、半分、気絶ですねー。

でも、強い日差しの中、向こう岸も見えない広大な湖を、いくつもの島を過ぎていく景色を楽しみました。

湖とは思えない、延々と続く水面でした。

そして、そして。

『太陽の島』につきました。

ここもツアーのハイライト。

チチカカ湖の『太陽の島と月の島にいく』という目的です。

さあ、ラパス空港到着してすぐに言われた、「みなさまから強いリクエストのあったトレッキング」の始まりです。

マチュピチュの朝から34時間が経過です。

一度も横になっていません。

乗り物で休むーがデフォルトです。

いや、リクエストって・・・(笑)。

思わず、ツアーの主催者に「トレッキングのリクエスト出しました?」と聞いたら、「出すわけないじゃん!」と言ってました。

たぶん、本音でしょう。。。(笑)

でも、すかさず、「いいや、あなたが出したんですよ・・・(笑)。他に誰が出すんですか・・・」と心の中でつっこみました(笑)。

旅のプランには愛情とロマンが詰まっているのを感じますから、感謝しかありません。

でも、自分たちが標高0メートルに生きている生き物だということをおそらく忘れていたのではないかと推測されます(笑)。

ツアーの主催者さんはいつのまにか「首謀者」という名前をつけられていました(笑)。

もちろん感謝と愛情をこめて、です(笑)。

一緒に苦楽を共にするっていいです(笑)。

さて、最小限の荷物を背中に背負って、トレッキングが始まりました。

標高3890メートルから、4100メートルまで、またあがります。

首謀者さんが疲れすぎたので、ラクダを準備してもらいました。

いや、ラクダの予定が、ロバになったと言われ、最終的に来たのは「馬」でした。

いいな~。馬。

少しうらやましさが心の中をめぐりました。

でも、、、

歩くんだ、私!!

台地を踏みしめるのよ!!

私ならできる!

ゆっくりゆっくり・・・。

最初は少し急な登り道で、すぐにハアハアいってしまいましたが、途中からなだらか~にずっと上り坂が続きました。

左側にはチチカカ湖を見下ろす絶景が。

ただ、私はあちらこちらに落ちている、ロバのうん〇を踏まないように、石がゴロゴロしている場所で転ばないように(足が案外もうあがらない)、静かに目の前に集中していました。

こんなところで、運をつけたくない・・・。

運はあるので!!

通り道にロバが草を食べていたり、家族で畑仕事をしている風景が続き、この島ではず~っと続いてきている光景なんだろうな、、、と思いながら、ひたすら進みましたよ。

1時間かな?

私はみんなより20分くらい多くかかったかな。

明日のことも考えて、無理はしない。

のんびり歩きました。

馬に乗っていったお姉さまも先に到着。

案外、ところどころにあった下り坂が怖かったと言ってました。

だって、左側、ず~っと急斜面だもんね。

こわいやね。

無事に16時過ぎに、4100メートルの場所にあるホテルに到着!!

マチュピチュの宿を出て、36時間が経過!

順調なのがすごいです。

すぐに部屋割りがあって、各自、部屋に入りましたが、コテージ式のホテルで、やっと階段を登ってたどりついたフロントから各部屋へは下がっていくのです。

ええええ。

仕方ないけど、オーマイガッ。(本当にそう思った)

「下がるなら、ここまであがってきたくなかった~」というのは心の声。

足がえらいことになってますが、もう一頑張り。

ゆっくり降りて、休む暇もなく、荷物を解いて、38時間ぶりのベッドに対面しました!!

これで、手足が伸ばせる・・・(TT)

 

ベッドをみて、あんなに感激したのは初めて。

大切さとは、手に入らなくならないとわからないものなんですね。

私はベッドが大好き!!と思いました(^^)

 

続きは次回(^^)。

 

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Vol.676『過去生を思い出す旅?⑩』


さて。

マチュピチュの遺跡を後にして、私たちは今度はボリビアのチチカカ湖に向かいます。

チチカカ湖はペルーとボリビアをまたいでいます。

通常なら、そのままペルーからチチカカ湖を目指すのが普通らしいのですが、今はペルー側のチチカカ湖周りの治安が悪くなっていて、そちらから向かうのは無理とのこと。

なるほど。

それで、このツアー。

びっくりするほど、ハードになっているのね(笑)。

 

まずはマチュピチュ駅からオリャンタイタンポ駅まで2時間の車窓の旅。

行きも同じ行程で来ているので、あまり、窓の外はみていなかったかな~。

外の景色は日本の高い山々と似ている景色でした。

行きは「これから遺跡に登るぞ」という意気込みもあってか、少し体力を抑え気味でしたが、帰りは遺跡を堪能した後なので、ある意味、打ち上げみたいな気分(笑)。

遺跡で説明を受けた話などを振り返りながら、なにやら小学生のようなアホな話でものすごく盛り上がりました。

みんな、高山病対策で、コカ茶やコカの葉、コカキャンディなどをずっと口にしていたのもあったのかなと思います。

みんなのせいではないです。

きっと、たぶん。

今でも録音しておいたらよかったな、というほどの盛り上がりで、本当にげらげら笑いました。

でも、内容は・・・。

本当に下世話でしたね(笑)。

コカがいけないんです。

コカ効果がすごくて、本気で、今の日本にあったらいいんじゃないかって思いました。

どうにかして、スーツケース一杯のコカを持って帰れないか、考えました。

どう考えてもつかまるらしいのでやめました。

人様には聞かせられない盛り上がりを見せて、2時間。

鉄道を降りて、今度はバス。

前のホテルであづけておいた荷物がバスに乗っているか確認して、クスコ空港へ向かいます。

2時間くらいかな??

途中、アルパカの専門店によりました。

この話は別途。

なかなか交渉術が必要な感じになりました。(最後は、買うのを止めるのを決めたら、交渉後の値段になりました。勝ち!!)

着いたころは外は明るかったのに、すっかり夜になって、無事に空港にチェックイン。

時間は19時くらいです。フライトは21時過ぎ。

空港で、「唐揚げ弁当」を渡された時はちょっと泣けました。

この心配りも憎いですが、ペルーのクスコの街に唐揚げ弁当を作っているお店があるって、「YOUは何しに日本へ?」の反対の「こんなところに日本人」ですよね。

本当に外食続き(ほんとに外食だけど)の胃におにぎりと唐揚げが優しかった(涙)。

もちろん、日本人、結構いるみたいです。

日本人の話、もっと聞きたかったな。

ほっと一息。

飛行機に乗って、いざ、ペルー・クスコ→ペルー・リマです。

ここでね、旅行、半分くらいです。

そこでね、こんなことを言われるんです。

「この先はまともに横になって寝れないよ」

「さあ、ここからが本番だよ」

このツアー・・・(笑)。

なんかの修行系ですかねえ・・・。

「目の前のことだけをみよう」そう思いました。

我ながら前向きです(笑)。

1時間半のフライトを終え、ペルーのリマに到着。

体の時間は夜中近くの23時30分。

そして、まだまだです。

ここからトランジットでペルーのリマからボリビアのラパスへ。

ここは国際線です。

出発が夜中の1時30分なので、椅子で静かに待ちます。

そこから約2時間のフライト。

もうね、何にも怖くないよ。

座れてるし(^^)、お腹もこれでもかってくらい空いてないし。

眠いけど、寝れない感じだし。

大丈夫大丈夫。

そしてね、朝の4時30分にラパスについたの。

ありがたいね。

遅れもなく、ロストバゲッジもなく、みんな、まあ、きっと元気で無事について。

思えば、20日の朝、マチュピチュ遺跡に行くのに4時に起きてから、かれこれ24時間後すぎにボリビアのラパスにいるわけ。

大丈夫大丈夫。

朝5時近くに空港で迎えてくださったガイドさんは細身の日本人女性。

このツアー、メキシコは日本人ガイド、ペルーのリマも日本人ガイドで、マチュピチュは外人ガイドさんだったので、やっぱり日本語を母国語にしている方のガイドはうれしい。

「よろしくおねがいします!!」

やや危険な元気状態であいさつすると、ガイドさんはかわいらしくこう返してくれた。

「よろしくお願いします! 今日は皆さんからのリクエストで、この後、トレッキングがありますので、準備をしてくださいね!」

「(え?)」

声が出ない私(笑)。


頭も回りません。

この状態で、一睡もせずにトレッキング・・・?

まあ、ボリビア入りした日は現地の21日の朝着ですからね。

一般的に1日がはじまりますよね。

普通に朝530の朝食から始まる、普通のツアーの日程が組まれていました(笑)。

私たち的には20日の朝4時からえんえんと続く、翌日の早朝なんですけどね(笑)。

すんごい盛沢山で嬉しい~けど、なんかの修行なのかな~?

 

続きは次回(^^)。

 

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Vol.675『過去生を思い出す旅?⑨』

 

マチュピチュ遺跡再入場の朝。

7時に遺跡に入るために、630のバスを予約しています。

出発は6時。

朝ご飯は5時です。

足を休ませる時間はありません。

430に準備のために起きると、外の雰囲気は湿度といい、空気感といい、なんとなく日本の温泉街です(笑)。

渓流のある景色というのは風情があります。

ただ、平坦ではないということで、どこにいくにも、登ったり、降りたりです。

おいしい朝ご飯を食べて、6時までにホテルのフロントに荷物をあづけます。

いや、これ、予定通りということでしょうが、後でマチュピチュ村に戻ってきた際に、クスコの空港に行くために電車に乗る予定でしたが、本当に電車の発車までに20分くらいしか余裕がなかったです。

ギリギリの行程で笑えます。

さて、再びバスに乗って、遺跡に向かいます。

朝6時30分だというのに、バスを待つ長打の列ができていました。

乗車時間は約30分。

山から登る朝日を見るという予定でしたが、もう外は十分あかるい。

「これ、朝日昇ってません?」と聞くと、「遺跡を取り巻く山から朝日が昇るところを見るので、これでOK」と言われて、なるほど。

地平線からはすでに朝日がでてましたが、そういうことですね。

遺跡について、今日は下の道を行きます(涙)。

道は2つあるので、昨日は先に上に登る道、今日は主に下の街を歩く感じでした。

前日より細かな村の説明を受け、「今日は登らないのね~」と喜びにあふれながらの観光になりました。

さっそく、山々の間から朝日が顔を出します。

「あの山と山の間から太陽がでてくるのが夏至の日」

山の峰はジグザグしていて、わかりやすい。

映画ならスパ~っ光が入ってくるとかそんな感じになるのでしょうが、その日は残念ながら少しもやっていました。

十分明るいのですが、輝かしい太陽というよりは、「太陽、でてますよ~!」という体験をしました。

 

夏至の日ですから、昔の神官なら、その日は朝早くから儀式の準備とかしていたのかな?

いろんなモニュメントや家の作り方、儀式が行われていたという神殿の説明をうけながら、
昨日より元気に、遺跡のあちこちを回ります。

写真でよく見る遺跡の後ろに写っている山は聖域ですが、その山の写真を横にすると、男性の横顔に見えます。

そうみると、もう、人の顔にしかみえない(笑)。

ちょうど顎の部分にあたる山に登っている人が見えて、きょえ~。

細くて高い山です。

昔はその山にも自由に登れたそうですが、今は予約制でした。

ちょうど夏至の日だったので、登る人も多かったのかな?

この日は遺跡を本当にあちこちあるいて、面白かった。

遺跡の空気を十分体感して大満足。

では、「出口に向かいます」となり、体は「やった~。後はバスと電車と飛行機で・・・やすめる~?」という気持ちになっていました。

出口について、少し汗ばんだので、さくっと身軽に着替えてしまいました。

そうしたら、「さあ、今度は上からいきますよ」とにこやかなガイドさん。

にこやかだわ(笑)。

「・・・・」

頭はフリーズしています。

喜びも少し。後は、「行ける?」という自問自答になりました(笑)。

幸い、足が疲れているのと、階段で息が上がるくらいで、高山病にはなっていません。

7時に遺跡に入ったので、まだ10時前。

ランチは遺跡の入り口にあるお洒落なレストランだったので、休んでいるとしたら、その近くのカフェで座っているしかない感じ。

(カフェ、バーなど、座れる場場所は2つありました)

でもきっと、待っていたら、「みんな、どこ行ってるのかな~」って気になるよね。

「よし、いくぜ」と気持ちを切り替えて、上のゲートに向かいます。

やる気スイッチを入れたので、入場は1番(笑)。

ここからまた緩やかな坂が始まります。

若手より進みがゆっくりだから、早めにスタートしようかなと思って、行く気満々になっていたら、なぜか後ろが来ない。

「あれれ?」

なんと入口でもめていて、私以外は入れませんでした。

戻ってみると、時間制限が厳しくなったのかな。

持っているチケットで再入場ができませんでした。

でも、なぜか、私だけは入れた(笑)。(目の圧がすごいからじゃ?とか言われたけど(笑)、実際は頭ふらふらで、目線もぽわんだったはず)

その後、ガイドさんがごにょごにょ話をしていて、全員、入れることに。

これは私の予想ですが、前は入れたけど、「今日は人がいっぱい」とか、以前より条件が厳しくなって、本来はだめだったんじゃないかと思います。

でも、再入場できて、出発。

山に登る初歩的な大変さって、どれくらい険しいか、厳しいかわからないことじゃないですか?

その点、昨日、登っているので、これくらいの速度で歩いて、少し休んで、という感じで、ある程度の確信を持ちながら、ゆるゆるついていきました。

ほんと、富士山の8合目を歩いている感じかなあ。

個人差もありますが、私は富士山の9合目に入った時は、5歩歩いたら、立ち止まって30秒息をしないと進めませんでした。

だから、富士山の9合目よりはちょい楽かな~。

実際、富士山より高度、低いしね。

そして、まあ、実際はひいひいいいながら、一回目よりはもう少し高い場所まで登り、眼下に広がる遺跡を堪能しました。

古代の人もここから自分たちの住む村を見ていたんだろうな。

だんだん畑にはリャマがいて(アルパカとは違うよ)、リャマの親子の可愛さに引き寄せられたら、これまたすごい匂いで、のけぞる私。

また、リャマの肉はおいしくないそうですが、生活には欠かせない動物だったようです。

毛もそんなに良くないし、食べられないとなると、荷物を運んでくれたりするのかな?

逆にアルパカちゃんは毛は使えるし、お肉もおいしい(涙)、そして、なにやらかわいい!!ということで、いろんな意味で人気だそうです。

ゆるゆるおりて、昨日は遺跡を回りましたが、3度目の今回は遺跡の方にはいかず、そのまま出口へ。

最後まで頑張ったぜ。

そして、ランチ!!


休んでいた人たちと合流して、ゴージャスなビュッフェをいただきました(^^)。

アルパカのお肉ってあったのかな・・・?

なんか、疲れた頭で「へええ」とか言った記憶がありますが、何に「へええ」だったか、覚えてない・・・。

それにビュッフェとなると、もう、世界共通の味なのかな、と最近は思います。

似たり寄ったりで、外さないおいしさ。

ちょいちょいペルーらしい料理もありましたが、そんなに度肝を抜くような料理はありませんでした。

 

まあ、コカの葉が一番印象的よね。

そして、バスにのり、マチュピチュ村まで爆睡。

ホテルについて、慌てて荷物をピックアップし、20分後に電車で出発する駅に向かいます。

私は勘違いして、ペルーの通貨を3000円くらい残していて、「もう、使う場所がないのかな」と焦り、駅の道までの露店で、慌ててTシャツ1枚購入。

値段交渉もする暇なし。


後で、空港で、お塩とかチョコとかコカとか買えるとわかり、焦りは禁物でした。

まあ、思い出に(^^)。

後で着てみたら、脇の部分の縫製がずれていて、軽く残念(笑)。

駅について5分後には出発。

ほんとぎりぎりなツアーです(笑。

 

続きは次回(^^)。

 

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あんじゅ 

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ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)