こんにちはkirariです

前回の記事でコメント頂いたのが嬉しくて

さっそく続きを書きました照れ



前回の記事はこちら


『子どもの頃から私を守ってくれていた』こんばんはkirariですこの間コーチングセッションを受けての気づきを話したいと思います私は小さい頃から周りに流されて生きてると思ってました自分の意見(意図)…リンクameblo.jp




さて

2つ目のエピソード


小学か中学時代の先生とのこと

(一生懸命思い出そうとしてるけど、どっちか本気で分からないショック



理科の授業で担当の先生が

課題プリントを渡す時にこう言いました


「先生と握手したら渡します」




先生なりの

ユーモア織り交ぜた提案だと思います

(子どもの私もそう思ったと思います)



でも、なんで?


(ここからは私的な見解やあの頃の私の気持ちを

推し量りながら書きます)(間違った表現などあるかもしれません)



日本の学校で先生が課題出すのは

当たり前というか義務

その義務を遂行するのは当たり前


なのにそれを遂行する前に

握手することを求めるのは変じゃない?

どういうこと?



たぶん子どもの私もこんな感じで

モヤモヤしたと思います



俺は

脱力系の面白い話しやすい先生やろ?

ユーモアあるし

君らと仲良くできるよ!アピールが強いくせに



先生は偉いんだぞアピールはもっと強い

 


他の先生と比べて

授業態度や話し方から

自己顕示欲が強いように思えたし

避けたいタイプって感じてた



自作のずんぐりむっくりの

マスコットキャラを忍ばせた

学級通信が配られて

押し売り的なところも苦手だった

(あら?もしかしたら学級通信ってことは小学生かな?)

(理科以外は他の先生と思ったから中学かと思ったけど、まいっか)



関わった先生の中でも

謙虚さがなくて苦手だった



だから子どもの私は

握手したくなかったんだと思う



課題をもらうため教壇に向かった時も

他の子たちがすんなり握手してもらってる中



私は、

「はい握手」と差し伸べられた手を握らずに

「したくありません」

と、お断りして課題をもらおうとしました



先生的に侮辱?屈辱だったんでしょうね

ユーモアで楽しい俺の提案を無下にした

受け入れない生徒がいるって

腹が立ったのかもですね



先生も意地になったのか

握手しないならあげないと

課題は渡してもらえませんでした




このあとのことはうろ覚えというか

覚えてないです

こういう展開だったかな?

こうだったかも?こうだったらいいな?

とか色んな思いを馳せて思い出そうとしたからか

何が現実で何が妄想なのか分かりませんニコ



もう1回下さいと前に行き

握手しないならあげないと押し問答

みたいな感じになって、


私はきっとこの時に

課題をもらいたい>握手したくない

だったから

握手して課題をもらったような気がします


もしかしたら、そのまま握手せずに

課題もらわずに授業終わったかもしれません


本当にどっちのパターンが現実の過去なのか

思い出せませんニコ






ずっとずっと小さい子どもの時は
私の気持ちを守るために
“嫌なことはしない”と意思表示して


気が乗らないことには応じません真顔



そういう強い気持ちと態度だったんだなと

セッションを通して思い出しました



そして


子どもの時の行動に

賞賛の気持ちが湧き上がってきて

うれしく温かな気持ちになりました



抱きしめられ守られてる安心感と

私の気持ちを大事にして

盾となってくれてありがとうの感謝



今の私にもあの頃の小さかった私にも

どちらにとってもいい時間


がんばりを認めてくれてありがとう

大切に守ってくれてありがとう




自分を愛おしく思え

大切に扱われてもいいんだと

自己価値が上がるというか

思い出したような感覚になった

セッションでした



子どもの時の自分に負けないぐらい

私を愛そうとも思いましたニコニコラブラブ




最後までお読みいただき

ありがとうございました乙女のトキメキ