主婦になり、16年。
一人暮らししたのは18年前。
わたしの料理歴は18年。
実家にいる時は
料理なんてしなかった。
したいとも思わなかった。
母がいない時に
「〇〇作って食べな」と言われたり、
「仕上げに〇〇だけして食べて」と言われて
最悪。
面倒くさい!
と思った記憶はある。
とにかく、
作ったときは
「嫌々作った」記憶。
お菓子作りも
したいと思ったことはないような記憶。
だけど、
遠い遠い記憶を辿った時、
祖母と朝早くに
料理をしたとき、
うれしかった記憶もあるわ・・・。
と、思ったら、
もっともっと奥の方に
眠っていた感覚が蘇って来た。
「お母さんと一緒に作りたかった」
という気持ちが
心の奥で体育座りして、
下を向いて存在していた。
あらまー(心の声)
「作るのが面倒」だと思ったのは、
単に作りたくなかったのではない。
料理する=母不在・・・①
だという方程式があったからだ。
もし、母に
「一緒に作ろう」と言われて、
あそびのように料理をする機会があったら、
わたしはうれしかっただろう。
母がいないという寂しさと
料理をするということがベッタリとひとつになっていた。
同居していた祖父母は
田舎の集落から出たことのない人たちで
「女が料理をするものだ」という考えを
当たり前のようにもっていたから、
母は22で嫁いで以来、
一家の料理を押し付けられていた。
(と、本人は感じていたと思う)
わたしも祖父母には
「お前は女なんだから、料理をしないといけない」と言われ、
その度に反発していた。
(小さな頃はそう言われることがちょっと誇らしかった記憶もある)
だから、
「料理をする=固定概念に屈する」・・・②
「料理をする=奴隷」・・・③
のような方程式もあり、
①②③どれもいいイメージではない。
だから、
わたしにとって、
料理をする=よくないこと
というイメージで、
「決してするものか!!」と
強く反発するに値するものだった。
純粋に
料理したい、
お菓子作りをしたい、
作ってみたい、
作れるようになりたい、
くらいの強い抵抗感があったので、
結局
「料理はきらい」のひとことで
片付けていたように思う。
母は母で料理が好きな人ではなかったし、
「女はいつかは料理をしないといけない時がくるから、
今はしなくてもいい」
「どうせしないといけないから、
させるのはかわいそう」
くらいに思っていたーと
大きくなってから聞いた。
ゆえに、母からは強要されることもなければ、
誘われることもなく、
教わってもいない。
こういう背景があって、
わたしにとって
「料理」はやってみたいと思う以上に
やってはいけないと、
ブレーキをかけた領域だった。
なのに、今は・・・
料理はおもしろいと思う。
わたしの料理は
ぜーんぶ、22歳以降に
実家を離れて、自力で仕入れた情報のみ。
誰からも教わらず、
情報も入れなかったからこそ、
楽しいのだろう。
なーんて、考えていたら、
わたしの料理観ってなんだ??
と突っ込みたくなったので、
次回から
まとめていこうと思う。
自己紹介
・・・・・・かねだ家・・・・・・
(2023/10/現在)
- 母40(ともみん) artist 主婦
- 父44うつ病(うつ歴8年) 会社員
- 長男kira 中3 鉄オタ カメラ小僧
- 次男rela 中1 hss hsc オニゴオタ
- 長女salt 小4 天真爛漫 工作オタ
- 次女sow 15ヶ月 レインボーベビー
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いろんな人と交流したいなぁって気持ちになりまして、2年半ぶりに開設✨
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