義父の急逝でバタバタと1ヶ月ほどが経過した
喪主である夫の挨拶は
マイクを前にこみ上げる涙をどうにもできず
数分の沈黙で始まった
打合せの時に「ご夫婦でご挨拶に立たれますか?」の問いに
「いえ私は結構です、喪主一人で」と答えた
その意味がその時にわかったのだ
平気そうに見えていた彼は子供のように泣いていた
あぁ、私も一緒にマイクの前に立つべきだった
そう後悔した
だがまた、今まで私一人が矢面に立ちワンオペで来た
嫁にすべてを丸投げしてきた彼の脆さでもあるのだ
一人で乗り越えなければ強くなれないことがある
そうも思った
あれから毎日、無人となった実家に行き
お線香と焼酎をあげている
空気を入れ替え掃除をし、ホコリだらけの仏壇を磨き
溜まったお位牌を過去帳に移行する段取りやらを調べたりと
日々なにやらと追われて過ごしている
いつもニコニコして朗らかな父は
常に人に囲まれていた
女性にモテて最後までガールフレンドたちに献身的に尽くされ
心から惜しまれてあの世に帰って行った
きっと幸せな人生だったに違いない
山の仲間に誘われて
春の訪れを知らせる福寿草を見に行った
登山口までが遠い九州脊梁は
暗いうちに家を出て山道をクネクネ進んだ秘境にある
平家の落人の里であるようにとても山深い
9時スタートの岩宇土登山口は
すでに原生の山を感じるように
はっきりとしたコースではない
誰かがたどった踏み跡を
無理やり登る雰囲気だ
こんな取り付きに
女二人はヒーヒー言ってすぐに
靴の紐をキツく締め直した
まるで野生の馬にまたがるようだ
スタート地点で、私はなんとその時まで
違う地図の優しい山を見ており
勘違いして連れられて来た
驚愕の事実に軽くショックを受けて
着いていけるのかと心配ななか歩き始める
3キロで標高差800程度を上がる
ということは、ほぼずっと急登だとわかる
こんな急登が延々と続く
ひょいひょいと素早い隊長は
あっという間に姿が消え
余裕のようだ
尾根を過ぎると暗い樹林帯に入った
すべる黒土の数十センチしかない斜面を
たまに滑りそうになると心臓が止まるくらいヒヤッとする
隊長が言う
「右側落ちたらもう川まで転がるんで、その時は助けられません
降りるまで待つか自分で下山してください」
右側は石がゴロゴロの急斜面が、遮るものもなく川まで続く
写真を撮る気も余裕もなく
足場の悪い崖っぷちの斜面を
生きた心地がしないまま罰ゲームかのように歩いていた
ふいに足元左の斜面に黄色が目に入った
前を行く隊長も下しか見ていなくて気付いてない
福寿草があるよ!
えっ?!どこどこ、ホントだぁー!
歓声があがる
お通夜のようなムードが一変して
パーっと明るくなる
神経を使う道のりの先に
ご褒美が待っていた
高嶺の花というように
岩場の斜面に人知れず咲いている
なんと可憐なのだろうか
ベルベットの花びらが美しく
微笑むようにゆれている
花に気を取られて滑って転びながら
しばし撮影タイムでホッとひと息ついたら
また急登を登っていく
天狗岳のようながれ場の斜面を上がると
久連子(くれこ)岳に到着
ココまでとてもキツかった
初めてのピークに笑顔になる
ここは足場が狭く切り立つとんがりで
360度の景色が素晴らしい
立つのが怖いので座って撮影だ
今日は登頂が格別に嬉しい
そして尾根続きの岩宇土山へ向かう
がれ場の急登を見て覚悟を決め歩く
鞍部の向こうがピークだろうか
あんなとこまでまた行くの?と言いつつ
励まし合う
まるで世界の果てまで行ってQの映像だ
しかし動く石だらけの急登は
容赦なく体力を奪われる
ストックを握る腕が次の日に
パンパンになるくらい全身で登った
下界の垢が全て取り除かれる気分になる
自然と一体に、自分もまた
自然の一部だとわかる瞬間だ
さぁもう一踏ん張り!
岩宇土山到着!
ヘトヘトになりすぐに昼食をとる
その後は白崩平岳の福寿草群生地などを見て降りていく
緩やかだと思っていた下山は、これまた黒土のツルツルで急登だった
もはや足は言うことを聞かないくらいガクガクになった
途中、渡渉が2度ある
梯子があるが左のほうから上がることが出来た
最後は堤防が土砂で流され、こんな怖いところを歩く
遊んでいるわけではなく
ここがコースになっている
自分の身長ほどの高さを、言うことを聞かなくなった足で
震えながら歩いた
最後まで緊張感のある山行だったこの日
生きて下山出来た喜びをヒシヒシと感じた登山だった
いやぁここは素人が歩く山ではないねと
登山4年目の私が言う
この夜、落ちる夢でうなされたのは言うまでもない
完