☆腹膜の限界~病歴⑰~☆ | MY LIFE~私の人生を私らしく~

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1999年11月18日に母親からの提供により、ABO不適合の生体腎移植を受けました。
日々の出来事、過去のコト、現在のコトなど書いて行きたいと思っています。
よろしくお願いします。

廃液に血液が混じるようになり、
不安に思っていた頃、ちょうど今年の3月まで診てもらっていた前主治医氏と出会いました。

紹介状を見た前主治医氏から、今日は、少し時間があるかと聞かれ、あると答えたら

お腹のレントゲンを撮ってきてと言われる。
レントゲンなんて撮ると思ってないから、当たり前だけど、準備なんてしてなかった。

レントゲン室のオヤジに、っと失礼!技師さんに下着(キャミソールとか)くらい着てきてとイヤミを言われる。。。

さておき、
レントゲンを見た前主治医氏の反応。
素人めには、全くわからないけど?
ちょっと悩んだ感じ?

私の目の前で前主治医氏の前の主治医氏に電話をかけ始める。
これは、ただごとではないなとさすがに気付く。

電話を切った後、前主治医氏から説明。
「腹膜が疲れて限界にきている」と言われる。
血が混じるのはそのせいだったらしい。

腹膜透析をやめて
血液透析に移行するか。
腎臓移植をするか。

はたまたそれでもやっぱり
腹膜透析を続けるか。

腹膜が疲れて限界にきているなら
3つ目は、ないなぁと思いました。

「家に帰って家族と相談してきてね」と言われ、その日は帰宅。

前主治医氏。
私が厚ゾコサンダル履いてるのをみて
「転ばないでよ、なんか深刻な話しちゃったし、心配だなぁ」

つづく

ここまで読んでくださりありがとうございました。


Kirara




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