えーっと、
これは先先週末の三連休の、最終日のこと。
高1息子が中学時代の友達①のK君に誘われて
自然の中に遊びに行くと決まった日のこと。
部活に行くと思っていたらあっさり欠席して
丸一日いない予定となった。
お弁当も夕食もいらない。
急に朝から夜までフリー・・・
イヤッホー!!いずみもどっか行こ!
7月に卓球の試合で行った場所に
夏休みに改めて行こうと息子と言っていたけど
今年は何やらバタバタとして行きそびれていた。
よし、そこに決まり!
今日は、長時間運転の疲れ具合を見たいので
あえて高速道路を使わずに行く。
そこへ行くための下道にはお気に入りがあって
そこを通って行くので全然苦じゃない。
まだまだ濃い緑の夏の山道で
行きたかった美術館までレッツゴー!
思えば子どもが小学生の頃までは
その辺りの公園やテーマパークに来る時に
その道を通っていたな。
忘れもしない、
今年小学五年生になるという年の一月、
この辺りの大きな園芸屋さんに来た。
盆栽が欲しいと言って。
盆栽と椎茸栽培キットを買って
骨董品屋さんを見て
こんな真冬の寒い日でも満喫できるもんだなと
楽しんだ直後、コロナで休校となった。
もう少し遅かったら、この思い出はなかった。
本格的に手が離れてきて、
(いや、手が離れるというか
一緒に行動しなくなって)
当時、一人で必死に連れ歩いた時のことが
懐かしくて、そして
思いのほか寂しい。
その美術館は、
試合の時に駐車場まで来たけれど
やはり時間的に厳しいと引き返した所。
息子も興味は示したけれど
実際入ってみて思った。
子どもと一緒だったら
このペースでは回れなかった。
決して見て回る物が多いわけじゃないけど
今、自分は「じっくり」を求めていた。
息子は女子が好むようなお店も好きだし
小学生の頃から美術館も喜んだ。
一緒に行くと楽しいし
子どもが居たからこその思いも味わった。
けど、久しぶりに一人で訪れて思ったのは
こんなに自分のペースで動けて嬉しい、
ということだった。
ミュージアムショップに気になる物が
たくさんあったけど
せっかくだからもっとたくさん置いてある
お店を見てから買おう。
その土地は陶器の生産が盛んで
欲しい大きさの食器を
いくつか買うつもりだった。
専門店を調べて行くと、
以前に息子と行ったエリアだった。
当時もとても楽しかったけど
今日は何も気にせず選ぶのに集中出来る。
寂しさと嬉しさで複雑な気持ち。
絡まった感情に見えたけど
多分、
ここで一人時間を自分に与えたから
「子どもに合わせてばかりだった」
という思いのまま終わらず
子どもとの時間を懐かしむことが出来たと思う。
ずるい人間に搾取されやすかった自分は
子どもに対しても無意識に、
子ども優先にして動き続けていた。
楽しかったし決して嫌じゃないのに
自分の気持ちを聞いてやる事とは程遠く、
小さな積み重ねが心の不健康さになっていった。
当然、子どもが悪いわけじゃなく、
自分の偏った考えで自分でやってきたこと。
もちろん子どもを育てていると
子どもを優先する時は多いし
自分の時間を提供するのが子育てだから
それが間違いとか悪いとかじゃなく、
長期戦の子育ての中で苦しくなった時は
こうして時々自分の声を聞くことが
必要だということなんだよね。
それすら出来ずに
進み続けてしまったということは
もっともっと
いらないものを手放す必要があったということ。
最優先すべき自分のこと、
子どものことに
ストレスなく時間と労力を使えるように
生きる上で不要なことを
ザクザク減らしていかなければいけなかった。
不要なことって
気乗りがしない人付き合い、
どうしても嫌いな家事や雑用、
誰かと一緒にいることでストレスを感じる時間、
行きたくないなーと毎日思う時間、
自分の不調を誘発する事や人、
惰性、
他人を見張る時間とそれにより生まれる感情、
罪悪感を感じながらやること、
などなど。
まだあると思うけど、
これらを自分の生活から追い出したら、
この程度のやりたかったことや
子どもとの時間なんて
充分得られていたはず。
その上、
心を乱すイレギュラーなことが起こっても
メンタルを立て直しやすい。
さーて。
専門店を回って散々商品を見たけれど。
気に入った物は全部
ミュージアムショップの物だった!
もー、何の時間だったのだろう。
戻るですよ!
時間もあるし誰にも気を使わなくていいし、
自分が一番気に入った物を買うために、
迷いなくUターン。
何の時間だったかって思ったけど、
一番欲しかった物を買うために
最初の場所に戻る時に、
本当に気が済んだなと感じた。
行きたかった場所に行き、
お気に入りを探すために移動し、
自分の一番を買うために戻る。
他の誰も優先せず、
自分を優先し続けた一日。
最後まで自分が付き合ってくれた、
自分は自分のために行動してくれるという信頼感。
毒親出身者で自己犠牲がちの人は
自分を変えようとする時、面倒だけれど
「自分は自分のために動いている」
といちいち意識した上で行動する機会をつくって
「良い意識状態」の時間を増やしていく。
意識状態を変えずに、
次々にやってくる目の前の問題に何回対処しても
永遠にラリーが続く。
意識状態が変わると
飛んでくる球が少しずつ減ってきたり
勝手にコートの外に出ていたり
球を潰すのもアリなんだ、と気づいたりする。
あーーー、
かわいかった息子と来た日が懐かしくて寂しいな、
でもあの時、連れてきて良かったな、
そして今、
あの時もう少し見たかったという自分を連れてきて
とても満足だな、
気持ちが、少しずつ、完結していくな。
お気に入りの食器を買ったし
お気に入りの道で帰るとするか。
暗くなって景色の色が見にくくなるのが嫌なので
早いけど出発。
息子たちはまだ遊んでいるだろうな。
もう一緒に遊んでいなくても、
息子と、
その友達が楽しいと
幸せは同じだけあるんだな。
美術館からの眺め。
いいねー!
9月半ばなのにまだ空も木々も夏色。
だけど土の上には
もうどんぐりが落ちているんだよ。
木々たちは何を目安に活動しているんだろう?