前回に書いたお弁当ばこのうた 〜あなたへのお手紙〜 と出会った時の現場。(記事)
ここの現場は2014年2月から参画していたのだけど、同年7月に辞めました。
あまりの激務に持病のパニック障害を悪化させてぶり返してしまったためです。
ブラック企業並みの長時間労働と、軍隊式と言うか少し自衛隊色が強い現場だったところが合わなかったんでしょうね。
(夜勤の入りが夕方16時なのにシフト勤務後も残務に追われて終業が午後14時だったこともザラだったな…)
災害と紙一重な故に常に緊張感に包まれてる現場だからそれが普通なのかもしれんけど、常に追われてるような煽られてるような空間も合っていなかったんだと思う。
合わなかったと言うことは、あまり精神的に強くないのも伺えますね。
そもそも頭の回転が早くないので、咄嗟の判断ができない。
そして何より不測の事態が起きたり、複雑なものに遭遇すると頭が真っ白になってショートしてしまう。
頭の中はショートしてるのだけど、それでも漠然と悪いことが起きてるから早く対処しないとと心や気が焦って頭は働いてくれない状況になる。
そうなると頭が動いてないのに気持ちは焦って心拍数や呼吸は荒くなっていき、手足が痺れて過換気を起こすという…
実はこの曲に出会う直前の3月終わりにも夜勤終了間際に過換気の発作を起こして、1週間の休みを余儀なくされたり、5月以降には過換気を頻発するようになっていた状況でした。
合間を縫って医者に行くと、しばらく止めていたSSRIを再開することになりました。
そして、客先からも7月一杯で契約解消のお話もいただきました。
まともに働けなくなってたんだから仕方ないなと思いつつも、少し負荷がかかるとダメになる自分がスゴく嫌になった時期でもありました。
反面で、あの環境や長時間労働から解放される安堵感も持っていました。
でも、正直この時はいよいよ会社も辞めることになるのかなと思ってた。
悪いことしたわけではないけれど、流動的に動いてる人材業界と言うこともあって、機能しなくなったらダメなのかなと思ってたから。
そんな時に会社から面談の機会をいただいた。
ダメ元で「なんとか続けていきたいです…働きながら治療したいです」と営業さんにお願いしました。
すると、会社の営業さんからは「komaさんがそうしたいと言う気持ちがあるなら、私達もその方が良いと思ってます。寧ろkomaさんが辞めたい方向にいかずにそう言う意思を聞かせてくれて嬉しかったです。そうしましょう。少し稼働の負荷が軽減できる現場を探しましょう」と言ってくれたんです。
少し泣きそうになりました。
最初に過換気を起こした際にすぐ退職の方向で話が進んでた時のことがどこかにあったからか、勝手にそう思っていただけで会社は働きたい気持ちを汲んで次の現場を探してくれました。
そうして8月の終わりに次の現場の参画が決まりました。
そこでは部署移動を含めて約2年半働きました。
その間にパニック障害も緩和していき、2019年の12月には晴れて卒薬となりました。