そこにいるか? | おっさんアングラー哲の釣行記

おっさんアングラー哲の釣行記

40歳を過ぎてからバス釣りを始めたいい歳したおっさんのバス釣りあれこれ。

バス釣りに大切な事の一つに、そこにバスがいるか?という事がある。

バスがいないところにどれだけ高級なロッドでリールでルアーで、素晴らしい1投を決めてもいなければ何の意味もない。

時間のロスだし、ましてや根掛かりしてロスとしたらテンションはダダ下がり

でも初心者はそれでも投げずにはいられないだろう。

ちょっと待て。

投げるのが正しいのか?

ただ投げるのが正しいのか?

ブラックバスっていう魚はそんなに簡単じゃない。

僕は初心者だ。

今まで闇雲にただ投げてきたからこそそれが正しくないと言える。

彼らが答えてくれる一投は、彼らが本当欲しいと思える一投なのだ。

いろんな想いで彼らはルアーに食いつく。

要するに彼らの気持ちになれているか。

人で言えば、寿司が食べたいときに焼肉を出されたらちょっと躊躇する。

そんなタイミングで目の前に寿司がきたら誰でも躊躇なく食いつくのではないか?

バス釣りというのはそんなもの。

簡単に言ってしまえばそうなのだが、今日、たった今のタイミングで、あなたは何が食べたいの?

そんなのわかるわけがない、素人ならそう思うのが当然なのだ。

でもね

そこを考えぬくのがバス釣り。

条件。

天候、水温、濁り、流れ、季節。
それを知るために簡単な道のりなんてないんだよ。

相手は自然なんだからさ。

釣れない釣行を繰り返して、でも諦めずになんで釣れなかったかを考える。

難しいなこれ。

この辺りで結局はまるかはまらないかが試されるのかな。

俺はハマったよ。

悔しくて、ただ悔しくて。

それが自分の技術や精神面でクリアできるものなら俺は自分に負けてるて思った。

自然に対して挑んだ勝負で負けている。

相手が人ならそれもしょうがないと思える。

でも自然なら、子供の頃から自然と戯れながらそれに抱かれながら過ごしてきた。

自然が問いかけている事に素直に答え、ザリガニを手づかみで取り、イモリを水中に見つけ、山ほどオタマジャクシをとって遊んでいた。

何処に行けばザリガニがいてどうやって追い込めば奴は手の中に入るか知り尽くしていた。

近所の相模川だ。

同じフィールドにバスはいる。

そして同じように手が届くところに彼らは生きている。

バス釣りは本当に、本当に、自然と対話する大事な手段なのかもしれない。

それくらいの覚悟や畏怖の念を持って初めて彼らは答えてくれるんではなかろうか。

彼らの環境を何も知らずして、生態を何も知らずして簡単に遊んでくれるような輩ではない。

とっつきは簡単なバス釣りだがその奥深さに、驚くばかりの今日この頃でした。