2024年5月チューリッヒ・ミュンヘン旅行5 『ジークフリート』の感想 |   kinuzabuの日々・・・

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チューリッヒ歌劇場の『ニーベルングの指輪』第二夜『ジークフリート』の感想を書く。

 


第二チクルスのストリーミングが始まったけど、恥ずかしげもなく書く。


まずは演出から

序曲

舞台の回転舞台の壁は純白からこげ茶(または黒?)に変貌。雰囲気がぐっと重くなる。回転舞台では、ラインの黄金で出てきた高級家具の巨大化したものが転がっていて回転舞台のすべての区画で示される。相対的に人物が小さくなっているのは、小人族だからだろうか?

第一幕。

ミーメは暗い色の服でちゃんと金床で剣を鍛える。クマを連れた暗い色の服を着たのジークフリートが現れる。さすらい人は黒い服、槍は木の杖を大きくしたようなものになっている。ジークフリートが剣を普通に鍛える。

 

ヴォータンの杖以外はものがたりそのまんま。


第二幕

アルベリヒは『ラインの黄金』と同じ黒、そして、さすらい人がファーフナーを呼び出す場面では、ファーフナーはしっぽだけで出てくる。

森の小鳥は羽の付いた純白の服。

ジークフリートが呼ぶとしっぽだけでなく、中央から全体が現れる。大蛇の心臓にノートングの剣を刺して殺し、剣についた血をなめる。すると大蛇はそのままで、ファーフナーが人間の姿で出来る。この辺はシェローの演出を彷彿とさせる。

ジークフリートは小鳥とともにブリュンヒルデの元へ向かう。

第三幕

ラインの黄金と同じ白い服のエルダが現れる

さすらい人とジークムントはこれまで出てきた会議室のような広間で対決し、ヴォータンは『ワルキューレ』で壁に立てかけていたトネリコの槍に持ち替えて対応するが、それを折られてしまう。

 

ヴォータンが槍を突く姿は『ワルキューレ』でジークムントを突き刺す場面に似ていて、ジークムントの仇を撃ったように感じた。それにしても、ちゃんとトネリコの槍を折るのね。当然だけど。

舞台が回転して『ワルキューレ』で出てきた岩山が現れ、ジークフリートがブリュンヒルデを開放する。最後はブリュンヒルデがジークフリートを広間のベッドに押し倒して幕。


少しばかりなんだろうか?と思うところはあるが、やっていることはリングの物語そのもの。奇をてらうことがない。前作とのつながりもしっかりある。回転舞台は場面転換だけでなく、いろいろ雰囲気を出していて、ここでも成功していると思う。

それにしても回転舞台が、純白からこげ茶に変わった。中一日でこんなことをするのはさぞや大変だったことだろう。


歌手は、ジークフリート役のクラウス・フローリアン・フォークトが最高。あの澄み切った声にわずかに重さが加わり、若い純粋なジークフリーを如何なく表現していた。迫力、音程、演技ともすばらしい。

ブリュンヒルデ役のニールンドも負けてない。美しい声、十分な迫力、うまい演技、もうたまりませんわ。

さすらい人役のコニエチュニーも相変わらずすばらしい。これまでの三作を支えてきた大黒柱。重責を十二分に果たしたと思う。

アルベリヒ、ミーメ、エルダもよかった。ただ、森の小鳥がちょっと不安定だったかな。ファーフナーはPA使っている時間が長かったから、今回は評価無しということで。


指揮のノセダは、『ワルキューレ』に続いて、盛大に鳴らす。ワーグナーの醍醐味やね。

オケも頑張って鳴らす。ちょっとぐらいミスっても全然かまわない。


ということで、『ジークフリート』も大変満足できた。焦げ茶色になった回転舞台の壁は、この物語だけ神々と繋がらないからなのかな。また起承転結の転ということかもしれない。

さて次は結の『神々の黄昏』だ。残り一作なんて少し寂しい。

 

(指揮者が映ってないのは、指揮者が出てきたときに前の人が立って拍手したからです)