『サイレンス』の感想 ロームシアター京都サウスホール 2020年1月18日 |   kinuzabuの日々・・・

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室内オペラ『サイレンス』を観てきた。会場はロームシアター京都サウスホール。2020年1月18日。

 


よくわからないけれど、なんか面白そうだと思って観に行った。室内オペラという響きがいい。

指揮はアレクサンドル・デスプラ、演出はソルレイ、管弦楽はアンサンブル・ルシリン。


舞台は、後方に楽器が並び演奏者が配置され、前方に人が演じる場が配置される。装置はほぼなく、手で箱などを持ち運び、これに舞台上方に投影される映像が加わって、場面が設定される。


始めはロラン・ストケールの語りから。そんなに「カタカナ」が珍しいか?と思えるほど「カタカナ」を強調する。

音楽が始まると、管はいろんな楽器を持ち替えて演奏し、打楽器は一人で7,8種?の楽器を演奏して休む暇がない。木管にはバスフルートも出てくる。神秘的な楽曲が続き、日本の三味線のような楽想も聴こえた。

三田のロマン・ボクレーは最初カウンターテナーかと思うほど透き通った声で歌った。透明できれいな声だ。

語りの運転するタクシーで三田がトンネルを移動する。トンネルは映像で表示される。それにしてもストケールの表情が良い。

作家の家に着くとジュディット・ファー演じる富子が迎えてくれる。どすの効いた強い声。でも繊細。富子の所作には能の動きを思わせるものがあった。

また、作家が観ているTVと思しき野球の映像で映っているのが、王だったり、山田久志だったりで、1980年代の話かなと思った。

最高潮は、富子の酒で我を失った三田が、作家に暴言をあびせる場面。墨を床の間のような立て板にぶちまけて、カタカナで書け、書けるだろう、と作家に迫る。

 

三田はわれに返って語りが運転するタクシーで家路につく。

そして、トンネルで富子の亡霊が背後に現れ、「黙っていてね」と口に指をあてた子供の映像が投射されて会場が暗くなった。


全体はそんな感じか。最後は富子の幽霊だと思ったけれど、そうでないのかもしれない。

神秘的で、日本のテイストがいっぱい入っている。よくできているなと思ったし、とても面白かった。


でも、日本人にはわかりやすすぎるような気がする。カタカナも能の所作も日本人ならわかりやすく、音楽にちりばめられた日本的なメロディも聴きやすい。語りも歌も所作も納得がいく部分が多い。日本人相手では神秘的な度合いが薄まってしまう。

一方、フランス人相手であれば、神秘的な国日本が味わえて、聴いたことのない音楽が聴けて、不思議な日本テイスト満載なこのオペラをより楽しめるのではないかと感じた。

そのくらいの神秘性が欲しいかなと思った。でも、これでいいのだと思う。日本的な美的精神を十分に表現しているから。こんなオペラをフランス人が作ってくれたことに感謝したいと思う。


大変残念だったのは、歌手がマイクを使って歌ったこと。繊細な歌が平板になり、時にスピーカと実際の声がダブって聴こえる音響の悪さ。歌手の声を信用してないのか?これだけは何とかしてほしいと強く思った。


日本的な神秘性とは何ぞやというものを存分に感じさせてくれたオペラだった。こういう公演をまた期待している。