サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団大阪公演の感想 フェスティバルホール 9月23日 |   kinuzabuの日々・・・

  kinuzabuの日々・・・

      徒然なるままに日々のこと、考えていることを書き連ねる

サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団の大阪公演に行ってきた。会場はフェスティバルホール。2018年9月23日。

 

 

曲目は、バーンスタイン作曲交響曲第2番『不安の時代』とマーラー作曲交響曲第9番という超大型プログラム。バーンスタインのピアノにクリスチャン・ツィメルマン。ラトルがどのように聴かせてくれるかが大変楽しみ。


一曲目のバーンスタインは、第一部は極めて小さな音のクラリネットで始まり、そこから暗く重苦しい合奏が続く。ピアノも重いが、音が極めて美しい。第二部はジャズっぽくなって、一気に私の知っているバーンスタインらしい感じになった。曲は薄明るくなり、ピアノも軽やかに、管弦楽も段々と大きくなって、最後はバシッと締めくくった。

初めて聴く曲だったので、解説を読んでもよくわからないけれど、華やかなミュージカルの世界とは違って、バーンスタインはこんな曲も書いていたんだと思った。ツィメルマンのピアノも美しくて大変良かった。


後半のマーラーは、テンポが遅く始まった。でもずっと遅いわけではなくて、早いテンポの場面もあり、緩急を強く感じた。この曲に広大な宇宙を感じる一人としてはもっとじっくりしてもらってもいいかなと思った。

問題は、管弦楽。曲の進行とともに音程や合奏の精度が崩れていき、ラトルの指揮に合わせるのがやっとのように見えた。来日一日目の疲れと、重厚なプログラムなど、いろいろ理由はあるだろうけれど、聴くほうは残念かな。

そのためか、ラトルがオケを曲にのせていくというより、オケを置いてけぼりにして、自分の理想に走っているように思えた。

また、オケの音が明るいので、重厚なマーラーを期待する分には少し残念かもしれない。

でも、紡ぎだされる音楽は大変すばらしかった。細部をえぐる彫の深さ、息の長い美しいフレーズ、全強奏のあらゆる楽器の爆発。そして形作られる大きな大きな伽藍とそこから続く宇宙。この音楽体験ができればこそ、マーラーの第9番を聴く意味があるというもの。

最後の弱音も美しく、すーと音が消えていった。


指揮者の肩が下りきったところで、盛大なブラボー。観客も静寂を保ち、大変すばらしい。


不満は数々あれど、この曲をこの指揮で聴けて大変良かった。ただ、ラトルは、自分の理想を実現しようとしたけれど、それはロンドン交響楽団では無理で、指揮棒の先にあったのはベルリンフィルだったのではないか、そんな印象を持った。もちろん、深読みしすぎなのはわかっているけれど、いちばん印象が強かったのはそこかもしれない。

14時10分ごろに始まって、16時50分に終わったコンサート。ホンマに長かったな。この曲目やし。