イタリア・バーリ歌劇場公演『トゥーランドット』の感想 フェスティバルホール 2018年7月1日 |   kinuzabuの日々・・・

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イタリア・バーリ歌劇場来日公演、ブッチーニ作曲歌劇『トゥーランドット』を観た。会場は大阪のフェスティバルホール。2018年7月1日。

 

 

びわ湖ホールの『イル・トロヴァトーレ』が大変良かったので、期待が盛り上がる。トゥーランドット姫がマリア・グレギーナ、カラフ王子がマルコ・ベルティ。歌手も期待大。


幕が開くと、奥に祭壇のようなもの、手前に広場があり、広場には合唱団が整然と並んでいる。分厚い土色の鎧のようなものをかぶっており、これは兵馬俑を模しているんだと思った。そうか、墓が舞台なのか。

ベルティの歌は突き抜ける歌で期待通り。リュー役の人は知らない人だがよい。オケ、合唱の迫力、細やかさは申し分なく、指揮も昨日と違って快調で素晴らしい音楽に酔いしれた。オペラはこれだよ。

演出では、歌詞のエピソード、例えば求婚した王子が次々に殺されてきたことなどが紗幕の裏で視覚的に語られる。紗幕と兵馬俑が入れ替わって効果的に舞台を作り上げていた。

そして2幕。グレギーナの登場はとてつもないものだった。この世のものとも思えないような激しくも美しい声を響かせ、破壊力、冷酷性、存在感が凄い。この声を聴いただけでこの公演に来て満足したといっても過言ではない。

グレギーナとベルティの二重唱は大変すばらしかった。これだけの役者がそろって、大変幸せな瞬間だった。

ただし、3幕の『誰も寝てはなぬ』ではベルティの歌唱は最後がもう一つだった。昨日のカヴァレッタも残念だったが、聴かせどころで滑ってしまった。

なお、この演出では、ロウ・リン姫が黙役で登場する。トゥーランドット姫が冷酷になった理由とされる過去の人物。リューの死の場面で広場に作られた白砂の一角に倒れ、ああ、ロウ・リン姫がここで死んだんだと思ったら、死んだリューもここに倒れ横たわる。そして舞台の幕が下りた。

リューの死で終わる演出だとこのとき知った。


この演出は、兵馬俑を思わせる合唱を配置し、舞台全体を墓の中という設定として、最後は、霊界をさまようロウ・リン姫と、トゥーランドット姫を変えたリューとを墓に埋葬して、トゥーランドット姫の持つわだかまりをも葬り去ったのだろう。物語としては最後のハッピーエンドがないけれど、ここで終わっても全く違和感のない演出だった。


いい歌手、いい指揮、オケ、合唱がそろった上に、考えつくされた演出。これぞオペラの醍醐味やね。こういうオペラを観たかったのよ。特に最近は面白い演出に巡り会えてないから特にそう思う。

この歌劇場は全く知らなかったけれど、いい公演が楽しめてよかった。また次の来日を期待してます。