ネルソンス指揮ボストン交響楽団演奏会の感想 フェスティバルホール 2017年11月4日 |   kinuzabuの日々・・・

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アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団の演奏会に行ってきた。会場は大阪のフェスティバルホール。

 

 

曲目は、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲とショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」。

後者は今年2月の大阪フィルの定演で聴いているので、それとの差がどんなものかが気になる。

今日の公演の切符はWEBサイトを見るとあまり売れてないようだったが、実際には結構埋まっていた。あれ、と思ったら、客層がなんか違う。小学生を連れた母親を何組も見たし、高校生も多数。学生割引やなんやかやで何とかさばいたのかもしれない。

なお、フェスティバルホールの舞台は、オーケストラピットまで拡張してなかった。おかげで3階席奥でも指揮が見やすい。

オーケストラメンバーの舞台への登場は、一斉ではなく、開演前から一部のオケメンが練習していて、だんだん人が舞台に集まってくるパターン。私はこういうバラバラした登場が好き。一斉登場は儀式的なにおいがして嫌い。


さて、チャイコフスキー。バイオリン独奏は、ギル・シャハム。有名な人だけど、私は聴くのは初めてだと思う。

バイオリンは明るい音で、一心にガリガリ弾くが、決して下品にならず、甘い香りがした。テクニックは抜群。オケもしっかり音を響かせて、クリアな音で魅了してくれた。

それにしても独奏者はよく動く。そして指揮者の間近で弾く。そこまで近づかなくてもいいだろう(笑

独奏もオケも気持ちのいいチャイコフスキーだった。バッハのアンコールあり。


休憩後は、ショスタコーヴィチ。オケのメンバーが増えて、舞台上が楽器と人だらけになる。

最初から音量の強さに驚く。ショスタコらしい猥雑さが大変好ましい。オケはよくコントロールされていて、ダイナミックレンジが大きく、群衆の不安をあおる。

第二楽章の血の日曜日の発砲以降は凄かった。静けさの中から、小太鼓の連打。とともに、打楽器が鳴りまくる。その中で、金管がどこまでも音が大きくなってテーマを見失うことが全くない。木管、弦もすごい。重戦車で群衆を押しのけて踏み潰していく。

第三楽章になって、静かなフレーズが始まったときの、会場の静けさといったらなかった。会場中が第二楽章のパワーに圧倒されたのかもしれない。

そして第四楽章。これはもう音の洪水だった。第二楽章を上回る咆哮。トロンボーンがどこまでも音量を上げていくのに驚愕。打楽器群大爆発。木管、弦もうなる。オケの膨大な音圧を浴びて放心状態になった。

最後の音が消える前に少し拍手が出て、いったん止まったけれど、指揮者が棒を下して、盛大な拍手。


それにしてもすごかった。迫力満点ってもんじゃない。あの大きなフェスティバルホールを揺らすような激しいパワー。こんなものを味わったらただ事ではいられない。もうひたすらひれ伏すだけだった。

ネルソンスの指揮も第四楽章最初のトロンボーンを極めて遅くするなど、いろいろ仕掛けを入れていた。オケのパワーの印象が強かったが、それだけではなかった。


で、大阪フィルと比較だが、パワーの違いは段違いで、第二楽章の血の日曜日の惨劇も、ボストン交響楽団のほうが、出来事に迫っているような気がした。大阪フィルも頑張ったと思うが、世界的なオーケストラはそれに足るだけの力があるのだと感じた。

ということで凄まじいコンサートだった。これは記憶に残るだろうな。


補足

これだけの演奏して、さすがにアンコールはないだろうと早く会場を出たら、アンコールが2曲あって、どちらも大迫力だったという話だった。聴けなくて残念。。。