”株主優先資本主義の下で生きている” | よくいうかいえ ( Cahier)

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古布リメイク作家のつれづれ日記

今日も三橋貴明氏のブログで政治・経済を学びます。(一部抜粋)

 

株主優先資本主義の下で生きている

 

 

 さて、イングランドの人件費は、インドの六倍。それでも、イングランドの工場主がインドより「安く」綿製品を生産するためには、どうしたらいいのでしょうか。
 というか、そもそもそんなこと可能なのか。


 可能ですよ。機械化、自動化等により、従業員一人当たりの生産枚数を激増させ、単位労働コストをインド以下に引き下げればいいのです。すなわち「投資の力」です。


 単位労働コストとは、一単位の財を生産するのに必要な賃金を意味しています。一人当たりの生産量が多ければ、単位労働コストは下がります。


 設備投資、技術投資、人材投資により、イングランドの企業が一人当たりの綿製品の生産枚数を、例えば100倍にした場合、インドとの賃金格差など吹き飛びます。イングランド産綿製品の方が「安く」なるのです。


 実際に、それが起きた。すなわち、産業革命でございます。


 ジョン・ケイの飛び杼発明(1733年)以降、連合王国(以下、イギリス)では様々な技術開発、工場・設備開発が進み、綿産業の生産性は激増。イギリス産の綿製品は、国内はもちろん、世界に輸出され、ついには本家本元のインドの市場までをも席巻するようになります。


 理由は、安いからです。


 国際競争力という言葉あります。国際競争力とは、要するに「グローバル市場における価格競争力」のことです。つまりは、安いかどうか。


 多くの人々が勘違いをしていますが、価格競争力を決める要因は、二つあります。


 一つ目は、もちろん生産拠点の人件費。


 デフレ化以降の愚かな日本人たち(わたくし含む)は、「価格競争力」のために国内の賃金水準を切り下げ、あるいは安い賃金の国に生産拠点を移していった。


 結果的に、国内のデフレは続き、生産性は伸びず、実質賃金が下がり、購買力が抑制され、さらにデフレが深刻化するというループを延々と進むことになりました。


 二つ目。「国内」で設備投資、技術投資、人材投資(及び公共投資)を拡大し、生産性を高めることです。従業員一人当たりの生産量を拡大すれば、単位労働コストが下がり、グローバルな価格競争力(要は安さ)が向上します。


 そして、しつこいですが実質賃金は「生産性」と「労働分配率」で決まる。


 投資により、生産性が高まれば、国民の実質賃金は上昇していく。つまりは、豊かになっていく。


 国民の実質賃金が上昇したとしても、さらなる投資で生産性が高まれば、グローバルな価格競争力は落ちません。


 この「二つ目」の道こそが、資本主義の王道なのです。すなわち、資本集約型の経済成長になります。


 現在の日本は、少子高齢化により生産年齢人口比率が下がり、「人手不足」が始まっていました。
「素晴らしい」
 と、思いましたよ。何しろ、人手不足であれば、企業経営者は「投資」による生産性向上に追い込まれる。この状況で、政府が公共投資や科学技術予算、防衛費などを拡大し、需要を創出してくれれば、アトキンソン氏が目の敵にする中小企業経営者も、
「ああ、これだけ仕事が安定的に見込めるならば、投資のリスクを取り、生産性を高めよう」
 と、なったはずなのです。

 

ところが、政府は緊縮財政。「安定的な需要の創出」を放棄し、規制緩和、自由貿易というグローバリズムを進め、派遣拡大に代表される雇用規制の緩和まで進めた。
 そして、コーポレートガバナンス改革。つまりは、制度的に株主優先主義に変更した。


 結果、企業はデフレで売上が伸び悩むにも関わらず、配当金を拡大する必要に迫られる。となると、人材投資はしない。技術投資や設備投資もしない。
 

 ヒト、など、他から安く買ってくればいい。技術? それも買えばいい。リスクがある投資など、もってのほか。
 

 と、なってしまい、日本は生産性向上や投資ではなく、「これまで労働市場に参加していなかった女性や高齢者」で人手不足を埋めようと図る。となると、生産性は低いままである以上、「より多くの人間」が必要になってしまいます。まさに、労働集約型。


 挙句の果てに、移民受入。

 

 もはや、我が国は真っ当な資本主義ではないのですよ。そして、安倍政権は株主優先主義に基づき、日本の資本主義を壊した。


 この「現実」を理解しない限り、そもそも問題が問題として認識されないため、政治による資本主義の破壊は終わらないでしょう。
 

 真っ当な資本主義、生産性向上による実質賃金の安定的な上昇が続く資本主義を取り戻すためには、まずは現実を見なくちゃね。