韓国 ソウルでトランジット’77 | よくいうかいえ ( Cahier)

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古布リメイク作家のつれづれ日記

番外編
<ソウルでトランジット>

この他、韓国ソウルにトランジット1泊の時は
カメラを持ち歩かなかったのか、一枚の写真も無い!

それでも、鮮明な記憶があるのはコレ。
金浦空港に到着、パリのクリスティーヌの知り合いのフランス人家族を紹介され
1泊お世話になることになっていた。
タクシーで行こうと乗り場を訪ねたところ、ある中年男性から流暢な日本語で話し掛けられた。
「私は、1時間後に再び空港へ戻るがそれまでの時間が空いているので
その住所まで案内してあげましょう。」
と・・・

勿論、警戒しました。 そんな申し出を受けるわけには行きません!
しかし、日本の大手商社の名前を出されたからと言うわけではないが
余りにも、下心を疑っている事が失礼かとも考え、好意に甘える事にしたのだ!
(イケマセンヨ! お嬢さん、絶対に。幾ら相手の好意に対して失礼とはいえ
警戒するのが当然ですから。)

何も無くて良かった! ちゃんとその男性はスイスイと街中を運転し
住所を尋ねながらアパートのドアまで送り届けてくれたのである!

相手を確認したら、その方急いで踵を返し「では、私はこれで・・・」
車に戻って行ってしまった。
ドア先での挨拶もメイドさん相手で話が通じないで(何語を話したんだっけ?)
焦っていたので、ろくなお礼の言葉も掛けられずに見送ってしまった・・・


疑った事へのお詫び、紳士的に接してくれたお礼を伝えられない歯がゆさは
今も「韓流」を耳にすると、恥ずかしく思い出すのである。



余談だが、新宿でカルチャー・センターの講師を5年ほど勤めた事が在る。
新大久保の駅から韓国人街を通っても歩いて行けるビルだったので
時折、買い物をしたり韓国料理店で食事をしたりして
せめてもの罪滅ぼしをCoCoRoの隅で意識するようにしていたものだ。

いまや、その新大久保は大韓国ブームに沸いて大変な賑わいを見せているようだ。
少し、ホッとしている。
その男性が車を運転しながら語った一言は、
戦時中の日本軍に対する恨みが篭っており、サラッと発した割には
かなり深刻な重みを持っていた記憶が蘇るのである。

マニラでのほぼゼロに等しい記憶に比べて非常に鮮明な
記憶である。


さて、ソウルで一晩どう過ごしたかというと
戒厳令下の街は夜12時には戸外にいてはならないのである!

フランス人家庭でマダムとムッシュは挨拶の後、外出。
残された幼い男の子とメイドさんだけ。

ろくに言葉が通じない、さっさとタクシーで街に出掛けるも
ろくな情報が無い。
ミョンドンを知っていたくらいなので運転手に告げる。

賑やに露天が立ち並んでいるが、対して買い物に興味が湧かない。
それに、当時は日本人の私が彼らには実に浮いて見えたようで
ジロジロ・・・に閉口した。
スタイルが全く違うのである。
私 当時パリで先端を行くスミス・ジーンズを(ボトム先細りの)履いていた。
彼らはと言えば、そうベルボトム・パンタロンなのです!

今のように国際化していない時代の話ですから・・・。
韓流なんて、全く無い時代の話です。

さて、お腹が空いた。
「絶対、焼肉を食べるぞ!」 と意気込んでもなにせ情報が無い。
どの店で食べられるの? わかんない!
エェーイ! と入った店は・・・中華だったのか?
メニューを見ても焼肉らしきものが見つからない。
それなら、店を買えればよいものを当時の自分には
その勇気が無い。

仕方なく読めるものと言えば、「餃子」だった! あぁ、何が哀しくて
ソウルで餃子を食べねばならんのか!

食べている間中、人の視線を感じながら店を出て
そそくさとタクシーを捕まえて帰ったのだ。
詰まんないの・・・

しかし、こうして綴っているとそれでも充分に面白い旅をしたではないか!

と、余裕で感慨に耽る34年後の自分である。



ちなみに、改めて韓国旅行をしようと「サンデー毎日の友」と11月を目途に予定していたが
彼女は、仕事で急に用事が出来たらしく出掛けてしまったのだ!
なぁんだ、置いてけぼりだ、ならもういいや。

娘の思いっ切り愉しそうな韓国旅行ブログを見ると
行きたくなったのだが、あの記憶もあることだし行かなくてもいいか~。