ビッグ・3と記念撮影’78 | よくいうかいえ ( Cahier)

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古布リメイク作家のつれづれ日記

さて、海外旅行は暫く置いて

パリ出向の5年間の仕事の足跡を辿る前に、まずこの写真をご覧アレ!
ハイ、これは1978年 イタリアのヴォーグ社による、「L’UOMO VOGUE」
紹介された、記事です。

Sono Samurai I Nuovi Leaders Della Moda?   「新しいファッション・リーダーはサムライか?」
と訳すのでしょうか・・・


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パリのエッフェル塔をバックに シャイヨー宮での撮影。
集結したのは、高田賢三氏・三宅一生氏・山本寛斎氏を筆頭に各社
30数名のクリエーターとスタッフ達、そして今は亡きスーパーモデルの山口小夜子さん。(中央)

私も居ります、前列寛斎氏の左のキャメル色のジャンパー姿の女子。
Maison SUZUYA 代表として参加しています。
(そうです、当時の鈴屋は世界の3大クリエーターと肩を並べる企業だったのです!)

山本寛斎氏と前後して、ギャラリー・エスパス・カルダンで
ファッション・ショウを開催した事もありますし、
ブティックのオープニング・パーティーには出席される方々です。
自慢ついでに・・・当時パリにお住まいだったデビ夫人宅へも伺った事があります!(ミーハーです)
今から思えば、大変なセレビリティとの交流があった鈴屋です。



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1978年 イタリア・アミカ社 「AMICA MODA」の取材を受けて
当時 SUZUYAのデザイナー代表としてモデルさんと一緒に
撮影となりました。
(覚えているのは、パリ到着の日だったので、時差ボケで眠くて辛かった事。
精一杯の笑顔です! しかし、この後日本人アーティスト達に誘われて
何故か、大学の講堂で”紅白歌合戦”の映画化されたものを見たような気がする。
勿論、疲労と時差ボケで殆ど中身の記憶は無い。)


ちなみにこういった各メディアとのコンタクトを採ったりPR活動をしていたのが
先の友達Christineです。アッタシェ・ド・プレスを担当していました。

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これは、残念ながらモノクロ記事でして、ベルギーの”VIVA”
取材記事です。
SUZUYA のファッション・ショウの舞台と当時一緒にデザイナーをしていた
Serge とのツーショットは、右端上です。
下部はミヤケイッセイ氏の記事です。

世界のファッションの檜舞台パリにて1972年の秋、初ショウを開いてから
この頃までは、光陰矢の如し 瞬く間に名声を手にした鈴屋は
次々と各地にブティックを開き年2回のショウは
招待券を持っていても、ゲイトでもみ合いになるほどの人気と盛況振りを
発揮したのである。
勿論、プレタポルテ販売も軌道に乗り
世界中のバイヤー達がEdgar Quinet のショウ・ルームへ押し掛けたのである。

当時のパリはシックが主流でした。
そこへ”ミニオン”大人の女性に可愛らしさをというコンセプトを押し出したのです。

今では「東京カワイイTV」でお馴染みとなり、世界を席巻した言葉です。
もう40年も前に伝えていたのですね、エッヘン!

あぁ、素晴らしく栄光に満ちた時代。 BELLE EPOQUE(ベル・エポック) です!
いい時代でした・・・

当時一緒に人種差別の辛酸を舐め、文化の違いに苦しみつつ歯を喰いしばり
溢れる悔し涙を抑え、耐えに耐えて支え合って来た鈴屋の仲間達を
今再び誇らしく思います。

そして、24歳から30歳までの期間に得た数々の経験は今も貴重な記憶であり
私は(株)鈴屋から大きな試練と恵みを受けた事を有難く思っています。

勿論、その前に先人達の現地での日本の繊細な文化と伝統美と
現代のアートする力を持って施して下さったたゆまぬ努力に
敬意を払いたいと思います。

そして、勿論現地スタッフの理解と協力も大きかったのです。
彼らと時にテーブルを叩いて意見を戦わし、練り上げた力も絶大です。
これから、再び旅の記憶や仕事中のスナップ等を取り出して
彼らとの仕事の様子やエピソードを盛り込んで紹介したいと思います。

どうぞ、また暫くお付き合い下さい。