臼杵駅から在来線で大分駅へ、乗り換えて小倉駅まで行き、ここから新幹線で徳山駅に向かう予定でしたが、西日本大豪雨による災害のため、徳山から岩国までの在来線が不通でした
「こだま」で一駅向こうの新岩国駅まで行き、連絡バスで岩国駅に移動
同行したメンバーの中に「鉄ちゃん・鉄道おたく」が居たのと事務局員の機転が利いた案内で大いに助かりました
もし、和歌山市への鉄道が不通となったらどんな手段が取れるのか・・と思います
それにしても暑い 連日の異常高温は岩国市も同じです
岩国市役所に観光振興課を訪ね、宇野千代氏生家の管理、運営についてお聞きすると
平成14年に宇野千代氏を信奉する方々が「宇野千代生家を守る会」を結成し、土日、祝日に一般公開を始め、3年後にNPO法人「宇野千代生家」を設立
同時に生家を市で買収して欲しいとの要望が出されたので、岩国市は文化、観光資源として活用出来ると判断、家屋を寄付で受け入れ、敷地を購入した
宇野千代生家条例を制定して管理運営をNPO法人「宇野千代生家」に委託した
NPO[宇野千代生家」は会員会費と入館料、書籍や小物グッズの販売収入で運営していたが、会員の高齢化と入館者の減少で運営が難しくなってきた
という様な経緯を経て、今年から岩国市が「宇野千代生家」に指定管理料50万円と修繕、機械警備、浄化槽維持管理料約30万円を負担することにしている、との事です
昔の山陽道に面した住宅街に宇野千代邸があります
邸内には宇野千代氏に関する資料が展示され、まるで日常生活が送られているかの様に整理されています
作家の尾崎士郎、梶井基次郎、画家の東郷青児など著名人と結婚、離婚を繰り返し、その度に家を建て替えた宇野千代氏は「数えて見ると、十一軒建てた勘定になるから」と言って随筆「私が建てた家」を執筆
「私何だか死なないような気がするんですよ」というエッセイを残して98歳で亡くなった
何ともしっかりした意志を貫き通す人だったんだなぁと感心させられてしまいます
離れには実物大の宇野千代氏の写真像が置かれています
宇野千代氏がこだわり、愛でていた桜、紅葉、苔が美しい庭
生家の管理当番のおばさんが我々を送り出してくれました
昭和49年(1974)宇野千代氏本人が生家を再建し、彼女を信奉する方々がボランティアで管理、一般に開放してきたとお聞きしました
何と篤い人望を集めているんだろう 聞いたり、読んだりする伝記以上に、宇野千代という人が放つ何かがあるんだろうと驚き、感心すると共に、ちょっぴり羨ましくもあります
宇野千代氏の邸から歩いて20分の処に流されない橋で有名な錦帯橋があります
関ケ原の戦のあと岩国に入封された吉川広嘉によって架けられた錦帯橋は、江戸時代のなかばからその美しい姿が評判を呼び、歌川広重、葛飾北斎、司馬江漢などの絵師によって描かれています
今回の視察から、文化財の保存や管理運営は、ゆるぎない価値を見出し、相応の覚悟をもって当るべきだと確認したところでした
和歌山市議会議員 北野 均