今秋、まだ夏の余韻が残っている竹田城址をWakuwakuサークルの皆さんと歩きました
雲海に浮かぶ城址が幻想的で、天空の城とか日本のマチュピチュと形容されているので「一体どんな処なんやろ」と興味津々、午前7時集合で朝来市までバス移動です
麓から城に向かう山道中腹の観光施設・山城の郷でバスを降ります
「よーし、今から頑張ってみるか」・・定番?の雄姿です
一般車が通行禁止となっている山道を連なって歩きます
少し歩くと天空の城らしきものが見えてきました
しんがりを行く友人に「おい、あんなとこまで登るんかえ」と
道端の斜面に可愛らしい実をつけた低木を見つけました
舗装されたこの程度の道なら、いつもの様に余裕をもった歩調です
それでも登りが続いてくると若干の遅れが・・「早よおいなぁよ」となります
「ふう、しんどいなぁ」と一息、ようやく竹田城の登城口です
ほどなく行くと、ボランティアの語り部さんが竹田城にまつわる由来などを説明している場所に到着・・「ここから本来の登道を上って下さい」 「えぇっ・・」
今は無い竹田城の石垣にたどり着きました
相当高い山城なので、景色が目の前に開けて来ます
サークルメンバーから口々に「あれが高倉健が掛けたベンチやで」・・高倉健氏の遺作となった「あなたへ」のロケ地だそうで,皆さんよくご存じです
山の頂に残った石垣だけの竹田城址を散策します
標高353mの天守台に向います
天守台を中心として、周辺が一望のもとに見渡せます
竹田城址を浮かび上がらせる雲海は、麓を流れる円山川から立ち上る水蒸気が作り出し、9月から11月にかけて寒暖の差が激しいときによく発生するとの事です
室町時代に始まる竹田城主の但馬守護・山名氏と播磨の赤松氏の相克、生野銀山を擁する竹田城が豊臣秀吉の但馬攻めでの拠点となった事、豊臣秀長の重臣桑山重晴が城主となり、その後和歌山城代となった事、関ヶ原の戦で家康側についた赤松氏が山名氏に代わって城主となった事など、歴史的な恩讐を引きずる竹田城なんです、と語り部さんの説明
「こんな険しい処に作ったのは実戦用の砦やったんや なるほどなぁ それに、竹田城が虎臥城と呼ばれるとは・・城主だった桑山氏が和歌山城に赴任したとは知らなかったなぁ和歌山と縁が深いんだ」と妙に納得したところです
竹田城址の特徴は、穴太(あのう)積みという石垣の築造法だという事です
戦国時代に、急峻な比叡山の石垣を組んだり修復する技術力を織田信長が注目し、安土城や大阪城の石垣を築いた大津市坂元町穴太に在する石工集団・穴太衆が竹田城の石垣を組み上げたとの事・・11月1日付産経夕刊で一面に穴太衆の特集が掲載され、コンクリートに押されて消えかかっていた技術がアメリカなど海外で注目され、先般の熊本城の修復にも関わっているという事で、穴太積みという日本古来の技術が今また見直されている事を知りました
和歌山市議会議員 北野 均