今回、イスラエル旅行で訪れた場所を全部紹介するのは
きっと無理やと思うので、
思い出すままに、順不同にぼちぼちと書いて行きます。
今回は、マサダ
https://ja.wikipedia.org/wiki/マサダ
断崖の上に、シナゴグや、宗教儀式用の浴槽とか
ユダヤ人の住居とか、遺跡がゴロゴロと残ってて、
これを何千年もの間保存していた、神さんの御業に
まずびっくりする。
でも今回、私がびっくりしたのは、
このマサダで起こった集団自決。
ローマ軍の手に落ちることが決定的になった時、
自分たちの目の前で、女子供がレイプされたり、殺されるのを見るよりは、
自分の手で殺してしまう方が良いと、
各家の主人(お父さん)が、
(きっと泣く泣く)自分の妻と子供達を殺し、
その後、村落の男同士でクジを引いて、順番に殺していき、
最終的に、律法に反する自殺は一人だけに留めることが出来た。
というのが、映画や何かで美しく語られてる物語。
私も、ここに行って話を聞くまでは、
神の民の悲しくも美しい武勇伝として何となく記憶してた。
でも、実際はそうではなくて、
パウロがローマ人への手紙で書いてる通り、
人はみな、上に立つ権威に従うべきです。
神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、
神によって立てられたものです。
ローマ13:1
そもそも、ローマ皇帝に逆らって反逆を起こしたのは、
ローマに権力を与えた、神の権威に反することで、
追い詰められて悔い改めるどころか、
さらにそこから逃れて、要塞に立てこもり、
最終的には、自殺は免れてたとしても、父親が妻子を殺し、
村人同士が、憎しみ合うわけでもないのに殺し合うという
最も悲しい結果を招いた。
これ、前回のヨッパの話にも通じるけど、
やっぱり行き着く先はここ。
『従順に勝る生け贄はなし』
神さんは、秩序の神であって、
聖書の中には、権威の順番がはっきりと書かれてある。
神⇨キリスト・イエス⇨夫⇨妻⇨子供
妻たちよ。
あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、
ご自身がそのからだの救い主であられるように、
夫は妻のかしらであるからです。
教会がキリストに従うように、
妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
エペソ5:22-24
信じられへんようなことも、
アホかと思うようなことも、
『すべてのことにおいて』従うべきやの。
しかも、
それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。
こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。
マタイ19:6
離れちゃダメ。
この間も書いたけど、
ここ数年、夫の言う通り、お金を使わず、
クリスマスといえども料理もせず、誰も呼ばず、
以前は一通り作ってた、おせち料理もずっと作ってない。
これが、ずっと苦しくて、
自分の中で、ものすごい葛藤してた。
でも、今年気づいたのは、
私の中のこの葛藤は、結局のところ、
自分が何もしてない、何も出来ないと思われたくない、
しかも、出来ないならともかく、私は出来るのに、
しかも料理も、人を呼ぶのも大好きやのに!!
という、私の中のプライドやらエゴから出てた思いやった。
去年は、いたたまれず家出したけど、
今年のクリスマスは、
家で、またこの葛藤と戦いながら悶々としてたら、
ふと、このマサダの話が思い出されて、
気がついた。
結局、料理したいとか、子供に何かをしてやりたいとか思ってたのは、
自分の存在を主張して、自分の力を証明したいだけで、
でも、夫と喧嘩してまで、無理やりそれを証明したところで、
家の中が幸せになるかといえば、それはない。
正直いえば、クリスチャンと言いながら、
さっさと離婚してる人たちは、いっぱい居るし、
その上、離婚後、ものすっごい優しい旦那さんを見つけて
幸せな家族写真が届いたりするのを見てると、
ヨッパでも書いたけど、
一人で神さん神さん言うて、
我慢してる私はアホちゃうかと思えて来る。
で、ぶっちゃげた話、
この”頭”さえ居らんかったらと思ったり。
でも、それも、神さんが与えた権威であって、
その第一の目的は、私や子供たちを守るため。
だから、その権威に逆らう事は、結局のところ、
神さんの守りから、自分から飛び出すという事で、
最終的には、形は違えど、自分の手で子供達を殺した、
このマサダでのユダヤ人と同じような結末を招くことになると思う。
何よりも、この地上の家は、私の家じゃない。
今、この瞬間にも天に引き上げられる時が来るかも知れんもんね。
今の時のいろいろの苦しみは、
将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、
取るに足りないものと私は考えます。
ローマ8:18