まず、前置き・・・
これを書くのは、誰かを責めるためでなく、
誰かを追い込むためでもない。
もしかしたら、中絶を迷って、ここにたどり着いた人もいるかも知れんし、
過去の中絶の傷が癒されずに、ここにたどり着いた人もいるかも知れん。
でもそれは、ただの偶然じゃない。
神さんが、あなたを許したい、あなたの傷を癒したいと思って、
ここに導かれた事を、覚えていてください。
そしてもし、今、中絶を迷ってここにたどり着いた人がいるなら、
絶対に、思い留まってください。
他に選択肢はあります。
神さんは、あなたを愛してる。
その赤ちゃんは、あなたを苦しめるために
あなたのお腹に宿ったんじゃない。
神さんは、お腹に宿った赤ちゃんの一人一人を、
すごくすごく愛しておられます。
あなたも、その一人としてこの世に生まれて来た事を
忘れないでください。
あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
わたしはあなたに感謝をささげる。
わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられている
詩篇139:13-14(新共同訳)
あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。
そのようにあなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。
伝道者の書11:5(口語訳)
見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。
詩篇127:3
今は、日本でもアメリカでも、
妊娠初期の中絶は合法とされてる。
そしてニューヨークでは、先日、出産の瞬間まで中絶する事、
はっきりいうと、母親のお腹の中にいる限り、
その子供を殺すことが合法となった。
でも、
法律がどうであれ、
妊娠というのは、お腹の中に赤ちゃんの心拍が確認されて初めて確定する。
そして、言うまでもないけど、
すでに世に生まれてる人は、心拍が止まった時点で、死となる。
真実は、お腹の中であろうと、外に出ていようと、
どんな形であれ、どんな大きさであれ、
心拍がある限り、それは命で人間に変わりないという事。
そして、人というのは、
他の動物とは違って、神の似姿に形づくられた存在で、
唯一、神さんが、手で造られたもの。
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。…」
創世記1:26
人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。
人は神にかたどって造られたからだ。
創世記9:6
でも、何度もいうけど、
神さんは、あなたのお腹の赤ちゃんはもちろん、
あなたの事も、救いたいと思ってる。
それは、すでに赤ちゃんを中絶した人も同じ。
神さんは、あなたを許し、救おうとして、
ずっと待ってる。
それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、
あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。
主は正義の神であるからだ。
幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。
イザヤ書30:18
見よ。主の御手が短くて救えないのではない。
その耳が遠くて、聞こえないのではない。
あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、
あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。
イザヤ書59:1−2
だから、
…「悔い改めなさい。
そして、それぞれ罪を赦していただくために、
イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。
そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。…」
使徒の働き2:38
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、
神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
第一ペテロ1:9
とにかく、悔い改めて、
神さんに助けを求めよう。
神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、
世の悲しみは死をもたらします。
第二コリント7:10
それから、
悔い改めたと言いながら、
何度も何度も中絶を繰り返している人、
また、自分には関係ないと思っている人、
そろそろ目を覚まさなあかん。
また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、
そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、
ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、
陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、
人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、
悪事をたくらむ者、親に逆らう者、
わきまえのない者、約束を破る者、
情け知らずの者、慈愛のない者です。
彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たる
という神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、
それを行なう者に心から同意しているのです。
ローマ1:28-32
救われてる
つづく