っちゅうわけで、前回、地獄を書いたから、
今回は天国
まず、天国について イエス様は 十字架の上で死ぬ前に、こう言うてる。
心を騒がせるな。神を信じなさい。
そして、わたしをも信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんある。
もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
ヨハネ14:1-3
つまり、私達が入るべき天国を用意しに行って、
出来上がったら また 迎えに来る。
そして、そこでイエス様と一緒に過ごす。
それが、天国。
ほんなら、その天国が出来る前に死んだ人は どこへ行くんか? って言うと
十字架の上で死ぬ間際に、イエス様を信じた、隣の十字架の死刑囚の一人に
イエス様が、こう言うてる。
イエスは、彼に言われた。
「まことに、あなたに告げます。
あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
ルカ23:43
パラダイス。
そして、やっぱりそこでも、イエス様と一緒。
それから、これまた別の イエス様の話で
‟ある金持ち” と、その豪邸の門前で 貧しく惨めな生活を送ったラザロが、
共に死に それぞれの場所に行ったってのがある。
そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、
宴席でアブラハムと そのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。
そこで、大声で言った。
『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。
ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。
わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
しかし、アブラハムは言った。
『子よ、思い出してみるがよい。
お前は生きている間に良いものをもらっていたが、
ラザロは反対に悪いものをもらっていた。
今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、
ここからお前たちの方へ渡ろうとしても できないし、
そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』
ルカ16:23-26
ここで言うてるのは、
情け知らずやった金持ちは、炎の中で もだえ苦しんで
そこから大きな淵を挟んだ先には、
アブラハムのふところで慰められ、安らぐ ラザロがいる。
これも まだイエス様が天国を用意しに行く前やから、
いわゆる パラダイスと言われる場所やねんけど
どっちにしろ、炎でもだえ苦しむ”金持ち” と、アブラハムの懐で癒されるラザロ。
しかも、ラザロをこっちに来させてくれとか、ヤラシイ事 言うてる金持ちに対して、
ラザロの代わりにアブラハムが、言い返してくれてて、
ラザロは文字通り アブラハムの懐で慰められ、安心してくつろいでるんやね。
そんでもって、これを話した時、 イエス様は ラザロをはっきりと名前で呼んでるのに、
金持ちは、名前の記載さえもないのにも、注目。
それから、最後の最後、最終的に私達が永遠を過ごす場所
聖書には、新しい都と書いてある。
それは、どういうところかって言うたら、
まず、
見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、
人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
最初のものは過ぎ去ったからである。」
黙示録21:4
神さんが、目の涙をことごとくぬぐってくれる。
そして、死もなく、悲しみも、嘆きも労苦もない。
それから、具体的に どんなところかと言うと、
この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。
天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。
長さも幅も高さも同じである。
また、城壁を測ると、百四十四ペキスであった。
これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。
黙示録21:16-17
これがサイズ。
聖書の訳注によると、1万2千スタディオンってのは、約2,200Km
壁の高さの百四十四ペキスってのは、約65m。
そして次は、街の様子。
純金が、アスファルト代わり・・・
都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。
都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。
第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、
第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、
第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。
都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
黙示録21:18-21
で、究極はこれ
宝石やら、純金の道路なんか どうでも良い。
神さんと、Jesusが いつもいつも一緒に居る。
わたしは、都の中に神殿を見なかった。
全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。
この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。
神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。
諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。
都の門は、一日中決して閉ざされない。
そこには夜がないからである。
人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。
しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。
小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。
黙示録21:22-27
でも・・・・・・
汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者は だれ一人、決して都に入れない。
って言われたら・・・
これまでの話の中で、汚れてない者、忌まわしいことと、偽りを行わない者、
神さんの基準、十戒にかなう人、天国に入れる人って、居る?
Are you saved?
救われてる?